生まれて50年の間に、ときとぎ観た印象的なビジョンや夢。たとえ幼い頃のものであっても、ずっと覚えているものがいくつかある。
それらは散発的で、ストーリーはなく、個別の、TV番組の合間に流れるCMのようなものだった。

なのに、まるでパズルのピースのように、どれかとどれかがハマっていく。 あるいはルービックキューブのように、揃うことがある。そしてそれらは、『シンタイコウの下絵』のようである。
仏師が木彫りをするときに観ているであろう仏の肖像のその断片のごとくに、あからさまには繋がっていないはずの各ビジョンが、目や鼻や指となってつながる。


エヴァンゲリオンの予告編を見たあと(ビジョン)、本編を観る(現実)ようでもある。
『破』のあとのQの予告は、本編とはぜんぜんちがいましたよね。アレとよく似たこともある(笑)。観たビジョンがあらわす現実は、そっくりそのままの絵ではなかったりする。だがQはQ。コレがアレだったかぁ…などと認識したりする。


顕在意識では完成図らしきものは見えていないのに、どこかでワタシはそれを承知している。私の顕在意識は公開を待たされるエヴァファンであり、承知しているワタシのどこかとは総監督の庵野秀朗であり、そしてエヴァを庵野さんにつくらせたナニカは、きっとまるごとガッテン承知の真希波マリ…いや、ワタシタチという断片逹である。