碇シンジと日月シンジ





逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ

(碇シンジ)



腰を丸めて腹圧をかける、旧タイプの強健術を、ふと、あえて やってみました。

私はこの運動法を否定していますから、普段やることはないのですが、いざやったらやったで、スゴい腹圧をかけられるようになってる(笑)。

ひたすら固くて鈍い身体でいるよりは、こうした運動をしたほうが100倍イイ。

…ですが、疑問に思ったことがある。
肥田さんは、この運動をしていた頃から『正中心』と謳っていたんだっけ?
これは腹力であり、せいぜい丹田力です。
この運動のいい所は、当たり前ですがハラを鍛えられることです。ですが、、、本動作をゆるめたあとからならジワーとハラから体中にイイ氣が巡りますけども、緊張即弛緩という絶妙さは無い。『ゾーン』ではないのです。

そして私はおもいました。肥田さんが旧式運動に励んだことも、そして転換が起きたことも、必然の流れだったのかもなと。天の采配だったと。


横隔膜が固かったらダメダメです。豊かな横隔膜運動ができる身体は、強健をもたらすことでしょう。
だが、それは、個体としての強さである。


アクはミゾオチにたまるぞ

(日月シンジ)








シンタイがときめくカタヅケの真法





身体に勁が通る(氣が使えるようになる)なら、なにも中国式武術とかでなくても、ラジオ体操だってかまわない。逆に勁が通っていないなら、太極拳をやったって軽めの肉体運動をしてるだけ。


NHK『みんなの体操』をボンヤリ眺めていたら、ムズムズしてきたので、真似をして動いたところ、新鮮な武術をしているようで実に愉しかった。
『どこそこの筋肉をどうのこうのしてください』などという解説が要所要所でされていたが、肉体筋肉体操をするのでなく、終始『勁楽』運動をすればよいだけだ。


『中心運動』にしたって同じ。強健術はできるけど他の運動はできないとかあり得ない。それでは強健術もできていない、つまり中心運動などしていないのである。強健術の動作に『慣れているだけ』。


ぶっちゃけ、正座で決められるシセイの程度が動作のポテンシャルです。そのシセイ以上の動きは叶わない。そのシセイから離れて何をやろうが、それは中心の伴わない過労です。あえて正座と限定しなくとも、たとえばただ直立したシセイのその程度、それ以上のものは出てこない。


『みんなの体操』『道』『ヨガ』などというパッケージはどうでもいいんです。ラッピングだけ上手くなっても自由自在にはなれない。むしろ囚われてしまいます。
日本人は特にラッピングを大事にする民族らしく、それはそれでとても良い面があるとおもいます。が、日の丸がマコトに象徴しているものは、ソコらへんの特性ではないとおもいます。ソレがあるからこそソコも大事にできるのです。






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