その2 カイタイ


と、前々記事では禅についてさも知ったように述べておきながら、私の雑念力はすごい。とはいえ、私はこうおもう。「座禅とは雑念を出すものだ」。そうです、封じるものではないのです。出たものは出す。

そしてその雑念はチカラを失ってゆきます。座禅をすると、雑念による行為というものが消化されるのでしょう。つまり、座禅をしなければ、雑念由来の行為に身体や時間を使うことになるが、座禅は未然にそれを消化する。あくまでも「カルマの封印」ではないところはミソなのではないでしょうか。


さて私は昨晩、仙骨周辺がチョー痛かった。悪性のものではない。新メソッドに強烈な効能があったのかな。今日はいくらか和らいでいるのは、テキヤのオッサンの気功のおかげでしょうか(笑)。
つまりこういうプロセスも禅と同じだとおもいます。人の仙骨は眠りまくっている。で、良い姿勢を「つくった」からといって、仙骨が目をさますわけでも正中心がキマるわけでもないのです。それでは「封印」に近い作業になっているからです。逆なのだ。姿勢をつくる(封じる)のではない。メソッドとはむしろ身体の解体作業である。







ボディスピリチャリー

ボディワーキーかつスピリチュアルな夢を観ることは、たまにある。目が覚めて起きたあとも体感が残っていたり、変わっていたりする。

昨夜は、角刈りでヒゲ面のテキヤのオッサンみたいな人に、「本物の気功」とやらを教わった(笑)。オッサンが私の背後で数センチほど体を離して寄り添う。すると私の身体の背面にジリジリビリビリと振動が伝う。私は(こんなの初めて…(〃∇〃)ポッ)…)と感動した(笑)。


アストラル界で武者修行をしてきたのでしょうか。いや、ちょっとちがいます。私は昨晩、また新たなメソッドを開発し、非常に身体が活性化していました。その影響だったのでしょう。

ではそのメソッドのおかげでしょうか。それはそうかもしれませんが、元をたどればそのメソッドを発生させたのはナニモノぞ?ということです。アストラル界のテキヤのオッサンから送られた予習テキストだったのでしょうか(笑)。いや、そういうことじゃない。

元をたどっていったときに、たった一つの原因があるとする。でもそのたった一つの原因は、すべてのものから孤立してポツンとあるものだろうか?
新メソッドのルーツを大雑把にたぐってみるとします。→
それまでのシンタイコウメソッドがあったからこそだ→非常にキツい出来事があったからこそだ→出雲の旅をしたからだ→中心練修会で肥田式を学んだからだ→太極拳をはじめたからだ→ラリっていたからだ→ラリっていないと気が狂いそうだったからだ→リンダリンダを聴いてハートに爆弾が落ちたからだ→バイトしてたジーパン屋で有線が流れていたからだ→高校辞めて働いていたからだ→中学のとき中島みゆきを聴いていたからだ→エロ本を視ていたからだ→昭和式トレーニングな部活で身心が少しダメージを受けたからだ→小学生のとき中日ドラゴンズと篠塚(巨人)が好きだったからだ→中学生のときはマヌエラ・マレーバ(女子テニス選手)が好きだった→マッケンローやレンドルなどの男子は興味なかった→女子選手が好きだった→リサ・ボンダーとか→脚とパンチラが好きだったんだろう→

…で、何の話だっけ?




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