凡人は口で呼吸をする
哲人は背骨で呼吸をする
真人は踵で呼吸をする


真人、という言い方だとなんだか「特別な人」的なニュアンスにもなりがちだけれど、これを「真人生」と言い換えたらいい。
聖中心力これすなわち肥田春充の能力そのまんま、かどうかは知らないし、肥田さんのような超人になれたらスゲーよなあとはおもうが、私は、肥田式強健術をはじめたばかりのときに感覚した「なんだかとても懐かしい処へ還ってゆく運動」、これがシンタイコウをやっている原動力で、体や精神を強くするとかってゆうより、「これだ!」「是!」という真実感とシンクロしてゆく作業が私を無条件に突き動かす。

踵で呼吸する、というのは比喩であってもイメージングではなく、実際の身体動作によるリアルです。踵で呼吸ができると、呼吸てゆうか氣てゆうか真氣は頭上にも抜けやすい。そして頭からも呼吸ができる。すなわちイキは身体を貫くのである。シンドウするシンタイのシンはシンクウである。踵や頭頂で呼吸できると胴体呼吸はリキミ呼吸ではなくなります。イキは天地人の脈動といった様になる。


仙術を極めればほんとうに不老不死に至るかどうかは、私は知らないし、それを求めて私はシンタイコウをおこなってはいない。人は必ず死ぬ。ではどうせ死ぬのになぜシンタイコウなどするのか。そんなもんしなくたっていいじゃないか?

いや、どうせ死ぬんだからしたっていいじゃん。どうせ生きてるんだったら真人生がイイじゃん。 是でいいじゃん。