シンタイコウ的新動作、「フェニックス」(笑)が生まれました。 お得意の、肥田式からのパクりです(笑)下体からパクりました。集約拳の腕を肚の前に出すのでなく、トウロウ拳だか南斗水鳥拳だかみたいな手の腕を左右に広げて、下体動作をします。

各筋骨を分析して動作を研究するのは悪くないことですが、強健術のような全身動作は、人体をまるごととりまく筋膜の運動だと私は感覚します。肉体は水袋。袋(筋膜)と中の水(体液、氣、重心)。抽象化するとそんな物体の運動が、すこし複雑に行われているだけのように感覚するのです。



仙道では、不死になれなかった仙人でも、死後の肉体は消えるが修行で培った「剣」が消えた肉体のあとに残っているという。これは比喩でしょうか。それとも物質としての剣がこの次元にほんとうに残るのでしょうか。よくわからない話ですが、仏教では「舎利」がありますね。火葬した僧の身体から宝石が出てくるという。写真ではその石を見たことがあるけど、火葬の現場に立ち会っていないからなあ(笑)。

でも、体内の剣とは、もしそれがただの都市伝説的な話だったとしても、私はなんとなく、云いたいことがわかる。その真意がなんとなく「身体で」わかるのである。

そういえばヤマタノオロチの腹からも剣が出てきますが。草薙の剣は実在するのかしないのか不明らしく、いろんな説が飛び交っていて、よくわからないですが、私は、神宝についての話はどれもこれも、まるで「火の鳥」のようにおもえる。火の鳥を追いかけて永遠に右往左往する人類の話と被るのです。仙道でも「内丹」と「外丹」があって、私が言ってることは大体「内丹術」の話であり、仙薬をつくるとか、仙薬を探しに蓬莱山に出掛けるとかいう外丹の話ではありません。

宝石でも剣でも何でもいいのだけど、モトの純粋なチカラは、間違いなく誰でも実感できる。