脱力しようとするそれはリキミ。とは以前からも書いていることですが。何で脱力できないかをもう少し観てみましょう。
1 結局のところ、脱力する気などサラサラ無い。 …こう言ってしまうとこれで終わりになります(笑)。では、いやサラサラあるんだけどな…という人の場合。
体幹トレーニングという私にはよくわからないものは言わずもがな、丹田トレーニングもまた、力を脱するどころかドラゴンボールか何かを体内に捏造しようという超陰性のリキミに他ならないですやんね。
手足のリラックスは比較的知覚しやすくても、肝心の体幹、中枢はリキんだまま。行っているのは「取引」です。力を抜くからもっとスゲエ力をもらおうとね。誰にもらうの。
さて次は心のリキミ、リキゴコロ。これは体の中枢のリキミと切っても切れない間柄。
瞑想などで無心を求める、神秘体験を求めるそれはリキゴコロ。特別な修行の話じゃなくても、情熱、強い心、豊かな心…と、心を磨く、心を鍛えることは無条件に肯定されます。でもそれは全て、リキゴコロ。
地震で、人々のカチカチなハートがリリンリリンと鳴っています。私達は、助かりたいのか。目覚めたいのか。
こんにちは。
先日、またまた愛知県から来訪してくれた人が。なぜ何人も愛知から?。
愛知…愛知愛知と書いて、改めて「愛知」という漢字を見てみると…なんだか深い名前じゃね??
これ、地形や風土が由来なのでしょうか?
そういえば以前にも時々書いてましたが、出雲。
12年ほど前に、出雲へ行きました。
それより更に数年前に、ある日いきなり、いわゆる「自動書記」体験をしちまいまして。その文を公開します
「いくせんまんねんのたびにでて いづものくにへ おりたることなしに いつわりのたびをしか そのたびにはなし よりどころあるとわかれば いつものところにもどるなりしか なりしか 」
…なんだかよくわからないけど、出雲へ行ったらなんかスゴイ事でも起きるのかなと思い(笑)、直ぐには行かなかったけど 、結局、行ってみることにしました。
で…号泣体験に至るんですが、
この話、長いんです。めんどくさくなってきました(笑)
もし、リクエストがあるようなら改めて最初から事の顛末を丁寧に書いてもよいかなと思いますが、いかがなものでしょう?。単発の記事では書ききれないことに話を流してしまいましたごめんなさい、えっと何だっけ?愛を知る的な?…ま、とにかく 今回はこれにてごきげんよう(^^)/