チャラ手が、なんだかチャラくなくなった。こんなかんじで動いたこと、今までない。奇妙ではあるが独特の身体作用がある。スワイショウともちがう。スワイショウよりもっと背骨にクル。


私に直接会いに来て、真体功式の強健術を見て、自分でもやってみて、ずいぶん啓発されるものがあったようで、後にでも報告をしてくれた方が数名いますが、それは私としても喜ばしいことであり、また、そりゃそうだろうさという、鼻持ちならない自負もある(笑)。だってどの肥田式簡易強健術よりキモチいいんだから。 心意六合拳と意拳の違いに似ていると表現してもいいのかわからないが、洗練されて地味な動作の意拳よりも、荒々しく伸び伸び動く心意六合拳のほうが体感しやすいものがある的なことと同じようなものかもしれない。 姿勢の中枢の扱い方は肥田式からの変更は無い。それは変更のしようがない。

私は、オーダーメイドをしているのだとおもう。全身全霊でオーダーをするのだ、宇宙に向かって。すると伝授されるのだ、術が。
肥田式やフラや氣功などなどの先人達のパターンのサンプルはあるけれども、そこからつい、オーダーせずにはおれなくなる。たぶん、体術じゃなくても同じかもしれない。たとえばマントラ(真言)を唱える修行とかをしはじめたとしても、出来合いのマントラをいつまでも律儀に唱えないような気がする。やってるうちに伝授されるマントラが出てくる可能性があるのである(あ、思い出した、そういえば、以前ちぶる整体を受けに福島から来てくれたかたが、来る前日に見たという夢によると、私の助手が、聞いたことのないマントラを唱えながらその人のコメカミに指を突っ込んだらしいが(笑)。そしてその夢を見ただけで楽になったらしいが(笑)。当時はパニック障害で悩んでらっしゃいましたが、その後はどうしていますでしょうね‥)。

もし、人にシンタイコウというものを正式に教えることをやるとしたら、シンタイコウのカタを教えることは『サンプルの提示』。しかし真の目的とは、その人が『オーダーメイドできるシンタイ』になることだ。
ちぶる整体を受けた場合だろうがシンタイコウを教わってやってみた場合だろうが、どっちこっち、自身の内側から啓発される感覚をなんとなくにでも知った人は、その喜び様がちがう。