シン エヴァンゲリヲン 其の弐

セブンイレブンの入口のシンエヴァの垂れ幕を見かけたときの興奮状態と、正座中のピシリとした状態についての話。
修行世界では前者は『煩悩』というのかも知らないですけど、行者が座って悟りを開こうとしてるなら、それも煩悩だ。それこそムッツリスケベエだよ。 興奮してるときは正座に比べ、たしかに落ち着きがなくなるけれども、それを抑圧したところで何になるのでしょう。ガンジーのふりとかしてるヒマは私には無い。だいいち正座で修行など私はしていない。

目出度いというかオメデタイというか。

仰々しいかもしれないが、もはやボディワークというよりも、シンタイ功というよりも、なんだかまるで『奉納』をしているような気がしてきている。だってほんとうにシンタイをタテマツっているのだもの。もともと武道ではないから攻撃技とかっていうのもあるわけじゃないのだけれど、もし武道的におこなうとしてもそれは攻防ではなくマツリゴトになるようにおもう。 実に面白い。

シン エヴァンゲリヲン

とふとふ六月に公開だそうな。東京オリムピックより先に私のハートはストップモーション(by桑江知子?)。シンウルトラマンとやらも制作中らしいが、シンタイコウはシンカ中やど!なめんなコラコラァ。どーでもいいがついに携帯の画面が明るく光らなくなった。いよいよでせうか。目が疲れる。シンエヴァが『Q』のように終始暗い画面でないことを祈る。てゆうか私は劇場に行けるのだろうか(笑)

全くだ。

肥田式の第四動の転換点となった『横隔膜そのまま』とは、即ち腸腰筋を立てるということでしょう。 以前からぼちぼち書いていることですが、下肚のみの鍛練ではどうにも案配がよくない。上肚から下肚までキッチリ立てることにより、はじめてシンタイは生き生きとしてくる。
相手が勝手に倒れるように見える合気の達人技(ガチのね)などは、重心が多元的に動いているのではないですかね。一点の圧力、的なものには見えない。昔見たビデオの肥田さんだって、体の何処かの一点に『力を込めて』いるようになど、全く見えなかった。全くだ!。

べつにアゲアゲにする必要などないのです

純粋に幸福な生活を求めて人生成功系?のメソッドとかスピリチュアルを学び実践する人なら話は別ですが、『絶対的虚無感から逃れたくて』そういうものを学んでも、役に立ちません。実践しきれません。絶対的虚無感は絶対的虚無感であって『ネガティブ』ではない。鬱に似ているだろうけれど、鬱病は治る。コレは治すというやり方で処理するものではない。
成功メソッドとかを頑張ってるのに全然できない自分を嫌悪したりしてる人がもしいるなら、貴方はそれをやる必要は全然無いのではありませんか?と言いたい。やってることと本当に求めていることが噛み合っていないだけです。
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