整体の学校に行っていたとき、解剖学の授業で、頸椎について学んでいました。私は手を挙げて質問しました。「なんで頸椎一番はそんな形をしてるんですか?」

先生は人体構造上の都合的な解説をしてくれたのですが、私がつい口に出した質問は、「お母さん、ボクはどこからやってきたの?」というのと同じ質の問だったのです。先生は「コウノトリが運んできたのですよ」でなしにオマエのトウチャンとカアチャンがセックスをして孕んで出てきたんだよ的に教えてはくれたのですが、私の疑問は(セックスって何?何でセックスしたの?何でセックスをするとボクが生まれるの?何で?何で?)とエンドレスに続く疑問でした。それを察した先生は「哲学的な質問にはここでは答えようがないなあ…」といい、私もそこでハッとして「そうですね」と返事をして終わりにしました。

こないだ、坐禅の脚の組み方は左右どちらが上か下か(降魔坐、吉祥坐というらしい)、ではどっちだったら何なのか?について調べたら、釈迦が悟りを開いたのはどっちだとか禅宗ではどっちだとかいうウンチクは出てくるのですが、なんか、知りたいのはそういうことじゃない。もういいやとおもって自身で調べることにした。すごくいろいろなことがわかった。一番よくわかったのは「どうでもいいからやってみること」ですけどもね。


次回予定
「頸椎一番と宇宙と地球と仙腸関節とチンポウとマンコウの擦り合わせについての考察、なんてどうでもいいからやってみろよ」