私は、考え事をしているとき(機械的な思考というより、どちらかといえば物思いに耽っているとき)に、たびたび、なにかしらの歌を心の中で唄っているときがありますけれども、それは私の好きな歌というわけでもなく、物思いとシンクロする歌、歌詞です。ですから普段ならすっかり忘れている懐メロを唄っていることはよくあります。

ですが、今朝は、考え事とは関係無い歌を唄っている自分に気がつきました。なんとなく好きな歌を唄っていたわけでもないです。その歌詞は「なんとなく」では済まない重い歌です。ですが私はそんな重いことを考えているつもりなどありませんでした。が、はっとその歌に気づいてひっかかりました。潜在意識とはこれかとおもいました。


潜在意識と直観は混同されやすいですが、同じものではありません。直観とは潜在意識よりも透明で、いうならその潜在意識にも顕在意識にも気づいている意識です。

「よく考えなくて失敗(潜在意識に振り回される)」する場合と、「考えすぎて失敗(顕在意識で判断しすぎ)」する場合がありますが、それはどちらも中心(直観、本意)にいないからである。


さてここで、このことをボディワーク(肥田式強健術の稽古を例にして)になぞらえてみましょう。

稽古をはじめます。まず→腰を入れる(顕在意識で)→今日は腰が反れないなあ(潜在意識ではそれ以上腰を反りたくない)→おらぁ!と腰を反る(顕在意識)→潜在意識は沈黙もしくは悲鳴(笑)。
これはいわゆる「鍛練式」です。
「瞑想式」ですと、逆に潜在意識に耳を傾けるわけですが、内観というより潜在意識に身を任せるだけだと、→腰を入れる→思いの外入らない→それ以上入れたくない→これ以上やりたくない→稽古終了→稽古不足→自己嫌悪(笑)。ともなりかねません。

顕在意識と潜在意識、どちらが正しいか間違っているか、じゃあありません。どちらに稽古させるかではないのです。中丹田や上丹田にも中心があります。中心(直観)は、ぶっちゃけ、何もしない。不動である。
子供が自転車に乗る練習を見守る親の様子に似ているかもね。ですから鍛練式や瞑想式で挫折したり失敗するのも織り込みずみです。失敗したってなんだってかまいやしないのさ。




もう いいのね

(碇 ユイ)