久しぶりに新聞紙を突くエクササイズをしました。

今までは普通の握り拳でしかやったことがありませんでしたが、今日はなぜか集約拳でやる自分がいました。 破れる感じに違いがありました。拳先がやや尖っているからというよりも、他の理由があります。新聞紙を貫通するときの前腕の感覚が違います(握った時点で違うけどさ)。普通の握り拳だと前腕は空洞のパイプ、集約拳だと芯の入ったパイプで突いたような感じ。身体そのものもそのような違いがあります。だいぶむかしに柳生心眼流柔術を習っていたときはサッパリわかりませんでしたが、この握りで当てるのは、拳というより身体そのものなんですよね。


さて今回練習で確かめたかったのは、拳というより胸、中丹田、ハートについてのことだったのですが。卵(肋骨)を割って中身(重心、氣、或いはワダカマリ)がボトンとハラに落ちる感覚を、具体的な動作、具体的なチカラに現したらどんなもんなんだろうというような思惑で久しぶりに新聞紙突きをやりました。その思惑が、はからずも集約拳を握らせたことは注目に値しますけれども、私は、「胸のすく」感じをとらえたかったのです。


格闘技で実力がハイレベルに拮抗した者同士が闘うときなどに、人を倒す行為をするとはいえ、また、競技のプレッシャーがあるだろうに、爽やかな身心になっていそうなケースをたまに見かけます。柔道女子の、名前忘れちゃったけどオリンピック2連覇した人、ヤワラちゃんじゃなくて、もっと重量級で、一本勝ちした人。あの人、決勝で闘うとき、ニコニコしてたよね。喜びが滲み出てた。
ボクサー長谷川穂積の十何回目かの防衛戦も。長谷川選手、愉しそうだった。負けちゃったけど。
あと小説なんだけど、リュウケイイチロウの、タイトル忘れたけど、主人公と盟友のジイサンが、最後、決闘するシーン。ジイサンが刀を抜いて「さらばだ、清さん」とか言うんだよね。なんか俺、ボロボロ泣いちゃったんだよね、その清々しさにね。

小説で泣いたといえば、村上龍の「半島を出よ」。最後のセリフ読んだときはもう号泣しましたね。カタルシスとはこのことかとおもいましたね。私はそれまでカタルシスとハルマゲドンの区別がついてませんでした(笑) クライシスとカタルシスとハルマゲドンが混じっちゃってたんだろうね。パルプンテとかもね。

ふと今おもいました。ちぶる整体じゃなくてパフパフ整体とかホイミ整体とかべホイミ整体とかベホマラー整体とかベホマ整体とかベホマズン整体とかいう名前にすりゃよかった。私はドラクエとマザーはハートフルだから大好きでした。でもファイナルファンタジーのことディスっていいですか?俺ああゆうの大嫌い。それと、♪なんとかだウィー、とか♪なんちゃらなのすゎ〜とか唄う歌もキライ。そんな歌いかたをする歌手は信用しねえ。


マザーの最後のバトルも超感動しましたね。俺ね、聖中心て、実は中丹田なんじゃねえの?ってすら、おもってる。