中心姿勢をきめるというシンプルなことが、なぜ簡単にできないのかといいますと、無駄な筋力をいろいろ使って誤魔化せてしまえるからです。無駄な筋力をそぎおとす方法はこれまたいろいろあるかとおもいます。断食とか。クッタクタになってチカラを込められなくなるまで筋力を使うとか。でもこういうのはピーキーな荒行ですね。こうした行をしたあと恒常的に不食になれたり二度とリキミ動作をしないようになれたならその修行は功を奏したことになるでしょうけれども、荒行中だけ一時的に脱しているのなら、ドラッグと変わらない。


シンタイコウ動作の中で最も、ほとんど機械的に中心姿勢にいざなわれる 「ニルヴァーナ」を紹介します。(イイ気になって大層な名前をつけてますが、ヨガとかでフツーにあるポーズかもしれません、けど調査してないからわからない)。

真向法に、正座で後ろに倒れる動作がありますね。あれと同じようなことを、蓮華座でおこないます。これだけです。私はこの動作が一番、腹と腰が極るのを感じる。バックベンドよりも楽だから誰でも出来るだろう。

氣感のある人ならカカト(足裏)や頭頂からスースーとコキウするのも感じられるはずだ。氣通りを良くするため身体をほぐすために、ときにはこの姿勢のまま腕を伸ばして金魚体操(シンタイコウ的にはドラゴン体操と云うが(笑))をしてもいいし、胸をゆるめたり広げたりしてもいいし、金魚体操のような横揺れでなくロープやムチを縦に振るように背骨をうねらせてもいいし、骨盤や股関節をクリクリとストレッチするのもいい。こうした挙げ句、静かに寝ているだけで、腹の伸びと腰(腰椎でなく尻)の締まりの妙といったら それはそれは格別だ。
なお、頭は北向でやるといいような感じがする。

そしてこれが、こうして寝ているときだけにしか通用していない姿勢なのかというと全然そんなことはない。この姿勢感のまま立ってみよ。世界は変わっているはずです(笑)。てゆうか自己の在り方が変わるんだけど。
そして全然、荒行ではない

このポーズでいると、涅槃境だか三昧だかなんだかは知らないが、死んでるのか生きてるのかわかんなくなってくる。それは意識がモウロウとすることとは全然別の感覚である。直観意識はクリアーなまま、無駄な生理活動や無駄な思考活動が限りなくゼロに近くなっていくということかしら?瀕死の状態というんでなく、なんにもないけどひとつだけある、みたいな状態に没入するかんじだよ。つまり何のゴマカシも効かないかんじ、だよ。


生と死は同価値なんだ
(渚カヲル)