私はこれまでブログでは「ニギハヤヒ」についてのことを、書いてこなかった。天照大神やスサノオは結構誰でも知っていると思いますが、古代史や古神道に深入りしている人なら御存知の、謎の存在ニギハヤヒ。

十五年以上前、自働筆記体験をしたあと、私は、自動筆記などというコックリさん的なものは所詮、潜在意識のことに過ぎないのではないかと思っていた。あるときふと「(字を書かせた)アナタは誰ですか?」と夜空に向かってなんとはなしに問うてみた。ソッコーで返ってきた返事が、「ニギハヤヒ」だった。

それでもまだ私は今でも、人格神的なニギハヤヒという一人の神様がいるとは、今イチおもわない。おもわないが、おもうことを以下に書いてみます。


ニギハヤヒが祀られている神社の1つに「イシキリツルギヤ神社」というのがある。石切、剣です。
私が今おもうのは、石切=隕石の落下。剣=身体の中芯、地球の中心力です。ちなみに「石エネルギー」を強く感じる身体の部位は、上肚(鳩尾、第三チャクラ)のあたりです。

古代イスラエルの伝承でも「三種の神器」があるそうで、「なんちゃらの杖」と「なんちゃらの石板」と「マナの壷」。壷は日本の前方後円墳と同じ形をしているらしい(壷は丸いほうが底)ですが、それはともかく、まるで、杖=剣 石板=鏡 壷=勾玉だとおもいました。

私は古代史の事実を追求するタチではなく、こういうこともボディワークとしてとらえてしまいます(笑)。剣は中心軸です。杖は十字らしいですが、十字の中心はハートです。鏡は上丹田です。石板は光るらしいですが、眉間の奥はたしかに光ります。勾玉は下丹田です。マナの壷は、上肚から下肚までの肚全体です。イスラエルの伝承では神器が入ったヒツギを誓約のアークとかいうらしい(日本の神輿とアークには共通点があるみたい)ですが、アークはシンタイじゃろ。カゴメカゴメじゃ。カゴの中のトリはいついつでやる。

あ、そういえば、肩甲骨なんすけど、硬くて使えない肩甲骨(にまつわる筋肉)→柔らかく良く動く肩甲骨 を超えると、「肩甲骨は使わない」に至ります。元の木阿弥ではありません、自由になるのです。肩甲骨って水門みたいですよね。閉じてるとエネルギーが詰まる。

そしてこれは肩甲骨にかぎる話ではありません。肉体は「柔らかく良く使う」レベルを超えると、「肉体は使わない」 に至ります。でもそれは、十分に使って使って練って練って練り込んでからのはなしです。


十種の神宝とか三種の神器ってものが、本当にあるとして、それが本当に神秘的なパワーを発する物体だとします。それが密かにどこかに奉納されているとします。でも私達平民は、それと直接関わることなどありません。私が今できることや、やりたいことは、神宝や真実を外の世界で探すことではありません。シンタイを練り込んで溶かしてしまうことです(笑)。