高い所から落ちたり、袋小路に追い詰められて万事休す、みたいな夢を見たとき大抵のヒトはハッと目をさましますけれども、そんな反射的本能的反応と身体のリキミやブロックは関係していまして。
自分で認識できないリキミは、自分が生きる上で当然の活動であるとの如くに、身心に染み付いてしまっている。


昨夜、バックベンドラゴンロール動作がまた進化しました。
この動作が出来るか出来ないかは深層筋に関係していますが、深層心理にも関係しています。ヒトは後ろに落下することに反射的に抵抗するものである。そこで普通は必死でリキむ。結果全くこの動作ができない。しかし程よく脱力するコツがわかれば一応は出来るようになる。しかししかし、出来たからといって動作を極めているとは限らない。さらにこの先に進むか進まないかで、それが健康体操やダンスなのか、そうでないのかは変わってくる。

肥田式簡易強健術だって実は同じことなのですが、あの確り立っておこなう動作が、往々にして逆にゴマカシに使われる。「確り立つ」の種類、意味が違ってきたりするのである。準備動作からして「確り立つ」種類を履き違えていれば、本動作ではチカラを置きにいくことしかできません。
しかし、ここで言ってることは、あくまでも私が求めていることであって、腹圧や表層筋力を鍛えるための運動をすることが間違いだとまではいえません。むしろ身心が弱いなら強くするのは当然です。
ただ私自身は、恐怖の克服のために「いろんなものをたくさん身に付ける」手段はとれないというのです。

こないだまでのレベルのバックベンドラゴンロールは捨てた。身に付けていた「恐怖対策」を捨てたのだ。するとより身軽に、蛇がのたうつように回れるようになりました。それにはコツがあるとか深層筋力は絶対的に必要とかっていうことはあるのだけれど、深層心理が恐怖でリキンでさえいなければ、こんなもんはただ「身体を回すだけ」のはなしである。蛇がのたうつのに「のたうちかた」の練習などしないだろ。でも私達はヒトだから、学習して能力を身に付ける生物でもある。ですが、AIではない。生物なのだ。生命の記憶は内側にあるのです。その記憶に「本能的恐怖」もプログラミングされているのでしょう。なんてこった。しかしそれは原初の生命本能には存在していないものかもしれませんよ。私はこれからもシンタイコウで、それをたしかめる。


震災から8年経ちました。ウチの下の、津波で崩壊した海岸線には高い防波堤が立ちまして、道からは海が見えなくなりました。