そのフィフスチルドレン、最後のシ者につき

♪ミミファソ ソファミレ
はれたる あおぞら
ドドレミ ミレレ
ただよう くもよ


歌はいいね。歌は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。 (渚カヲル)


69はいいね。69は僕の生まれた年だよ。(俺)
真体功はいいね。真体功は、そこまでのリリンの生み出したクモのイトだよ。


また1つ、いつぞやに見た夢(白昼夢的なビジョンだったか)を思い出した。渚カヲルみたいに、直立したまま宙に浮く夢でした。その夢には体感が確りあって、私は仙骨を操作して浮いたようだった。

重力からの解放とは、重力を忌避することではない。そこにありながらもそれにとらわれていない状態です。理屈はともかく、そうなればわかってくることなんだけどな。
スポーツ選手の「ゾーン」は、極度の集中の果てにシフトが訪れて、「入る」「降りてきた」などと表現されていますが、シンタイコー的ゾーンの場合は、極度の弛緩の果てのシフト、そして「真氣通貫」する。



次回予定
「その369 終わるブログ」

「その0 シンタイの中心でアイを叫ぶケモノ」












そのフォース ブッぱなす

今年の春頃から、海岸で、小銭を拾うことがやたらとあるのですが、いつも大体同じ場所。そこで誰かがやたらと金を落とすわけでもないだろうに。風雨にさらされ黒ずんだ硬貨ばかりです、今日も二百円。で、なんだかだいぶ昔に見たことがある夢を思い出しました。砂を掘ったらワサワサと小銭が出てきた夢。それと光景が似ていることに気がついた。

そして、さらに昔の幼い頃、熱を出して寝込んでいたときに見た夢をまた思い出します。遥か彼方に見える小さな粒が、光速のような速さで近づいてきて、それは超巨大な石?で、あっというまに視界を覆いつくしました。その後はどうなったか覚えていません。

隕石で滅んだときの、生命のDNAの記憶?なのでしょうか。よくわからんけど。


少し前の記事に、ほんとうの姿勢がとれると、過ぎていく時間の今じゃなく全ての今に立つことになる、といったことを書きました。マインド、スピリット、ボディが「一氣通貫」すると、自我による自己のコントロールというのは自動で手放されます。その状態では、ズレというものが消失するので、時間というまさにズレの象徴も、なくなる。 現実的には地球は回っているだろうから、時空が完全消滅しているわけじゃないし、私もここにいるし、気が狂ったわけじゃない(笑)。おそらく、引力に乗ることと重力に乗ることの二重性の問題だ。
これは、ハラ腰を鍛えるということと超脱力によって自動で直立することに、矛盾があるわけではないことにも関係している。

ふつうだと例えば、吸気=緊張=交感神経優位、呼気=リラックス=副交感神経優位 というような、陰陽の法則性がある。でも、一氣通貫した身心では、こちらを立てればあちらが立たず といったようなシステムにも、束縛はされないのである。


次回予定
「そのフィフスチルドレン、最後のシ者につき」








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