レットイットビーの無いレットイットゴーは、ボディフルネスでいうなら、重心の落ちきらない中心軸の定まらないただのヤブレカブレ運動である。

それではうまくいかないと知るのもボディフルネスである。だが、それでうまくいく場合だってあるだろう。ここでいう うまくいく とは、ちょっとした「テク」を身につけてしまえる場合のことである。


つまりそれは、プラトーの回避っていうか、プラトーからの逃避である。結果をだし続けてナンボの競技者ならいざ知らず、「道」を歩む者ならば、レットイットゴー&テクは、脱線である。

たとえば格闘技的な武道の流派なら、そんな流暢なこといってて負けたらどうすんねや、武道は負けたら死亡なんやで、ということにもなるでしょう。たしかに死活問題だ。たとえばマッサージ業界なら、客が沢山ついてナンボ。医薬品なら、治ってナンボ。しかしながら、道は、ナンボの世界ではなく、チンポの世界なのである。

輪廻転生っていうのは、自分が何度も生まれ変わるとかいうことではないとおもう。脳科学っぽい言い方をするなら、生命の情報が再生されるとかアップデートされるとかいうことである。こないだ、AIのディープラーニングの仕組みの図を見ていておもいました、受精の仕組みに似ていると。無数の失敗があってのたった1つ出てくる回答 。
私達はそうして生まれてきたわけですが、それをポジティブに見るなら「生まれただけで大成功」といえます。ネガティブ(マイナス思考という意味ではありません)に見るなら、私達は、失敗するために生まれてきたのです。生命として、たった1つある回答のために、大概の失敗をして還っていくのです。

これはもう一般的な成功失敗の感覚に当てはまるものではありません。
不幸であれとかいう話でもありません。
なんだっていいのだ。
根本生命には成功しかないんだから。