立文字

いきなり早くも前言撤回するような記事を書いてしまいますのですが、夢でこんな「文字」が出てきたのです。読んだ瞬間バッ!と目覚めた


「すべてを奇跡で越えようとする人の魂胆は大乗なり」



「魂胆」(こんたん)。文字で読むと、通常我々が使うニュアンスでの「たくらみ」という意味では全くなかったのです。


「すべてを奇跡で」。困ったときはミラクルに頼るしかないとか、人事を尽くして天命を待つというのではなく、すべてというのです。寸分の狂いも隙もなく、オール奇跡だと言っているのです。完全なる脱力、完全なるサレンダーです。人事も天事もありゃしないというのです。


この文の最後に人の名前が書かれていたのですが、聞いたことない名前だったし、忘れてしまった。
誰が言ったかというラベリングに囚われないようにという夢の演出かもしれんし、人の名前ではなかったのかもしれん。








不立文字

ずっとおもってきたことだが、たとえば「中芯は云々」と述べたそのコトバは中芯を中芯ではないものにする。連ね連ねた記事は全部、ペットボトルに貼り付けたラベルであっても中身のドリンクではない。

私自身の感得しているところのものが、達人や覚者の境地などには及ばない薄っぺらい感覚でしかないものだから、コトバに乗せるチカラが無いだけなのかもしれないが。
それに、身心の中心を求める人が文字でその道のことを学びたいのなら、肥田春充の著書「聖中心道肥田式強健術」がある。他にもある。しかしそもそも実践してナンボのモノゴトであり、オベンキョウではないのである。


というわけで、真体功のゴタクを並べるだけの記事はここらでしばらく休止します。

これからはテキトーに楽しく読める話を綴っていければよいかなとおもいます。んじゃまた。



中芯が姿勢にコミットする (再々編集完了、完全版)

中芯は、無い。
無いのに、在る。

肉体でも観念でもない中芯が、なぜ、何処に在る(※有る、ではない)というのか。
ソレは、存在の仕方が「裏表ひっくり返る」ことによって、わかるのである。シフトチェンジといってもよい。

「身心脱落」というより、「身心転換」といった感じがするのである。


脱力体操とか身心統一瞑想といったプラクティスは、氷を水へ、そして水を99度まで高める作業である。身心が行うことは、行えることはそこまでである。中芯「に」コミットする作業です。

中芯「が」コミットする身心はクリスタルの如し。


身体を横から見たときの肚の三角図。右側は腰、左は腹

上三角より上は横隔膜、下三角より下は下肢。

重なった上の太枠の不等辺三角は対重力的な上肚。下の不等辺三角は対重力的な下肚。

対称的な上の二等辺三角は対引力的な上肚。下の二等辺三角は対引力的な下肚。

中央を貫く線が中芯線。








夢を見て夢から覚める

こんな夢を見た。


男女2名を整体施術した。施術といっても、その人達をつかんでブン回しただけである(笑)。
男性は細身で長身で髪の整った人。女性は90年代風だったかな、少し個性的ではあるが、まあ普通の娘。どちらも見知らぬ人。ブン回したら、二人は凶悪なサイコパスになった。ブン回されて気が狂ったのではない。仮面がフっ飛んで、隠していた姿が現れたのである。

だが私はそれがその人達の正体とはおもわなかった。仮面とサイコパス、どちらでもないじゃん本当はね、おまえら。さ、もう少しブン回してやるから、ウソの姿なんて終わりにしようぜ。


パッと目が覚めて夢をハッキリ覚えている私は、即座に夢分析的な思考をした。…あの二人は…実は自分だったろうか? 否。

自他の区別などといふものは、ほんとうは無いのである。わたしはそこでそのときただ目の前の、要らないものを振り落としただけだった。



さて起きてから今現実の身体。 私は一体いつからはめていたのかわからないほどに気づかなかった「手錠」のような手首の拘束が、無くなった。手のひらと肚が直結している。こんな感じ今まで無かったので、生まれてはじめて外れた手錠なのだろうか。。

絶対にこれで人を殴るわけにはいかないという感覚。合気道とかやったら初心者のわりにはスジが良さそうじゃね?な感覚。
今までよりさらに良い整体施術もできるようになったなあという感覚というか、確信。







ざんこくなたましいのるふらん

ここのところ、テレビで人が何を言ってるのか、新聞などの文章にしても一体何を言っているのか、まったく理解できないことがたびたびある。わかりにくいと評判のブログを書く私が言うのもおかしな話だが、ナレーションが理解できない。トークのやりとりがちんぷんかんぷん。クイズ番組では、回答以前に問題が理解できない。文章(特に論調とか評論的なやつ)は文字がテキトウに組み合わさっているだけで意味が汲み取れない。認知症になりはじめたかとウッスラおもったりもする。


子供の頃に感じていた「この世界」と、この世界が、同じっぽい。


ずいぶん昔に「アルジャーノンに花束を」という小説を人から借りて読んだことがあるが、つまらなくてペラペラペラペラページをめくり、最後のコトバだけを見た。全編マトモに読んでいないくせに、泣いたこと覚えてる。


スタジオジブリのタカハタイサオさんが死去したという報道を見ていたら、「火垂るの墓」が少し流れた。セツ子が言った。

「おうちかえりたい」



ハッキリときこえた。










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