キラーメソッド

瞑想行とかだと、スピリチャルの沼に落っこちてしまいがちだけれども、肥田春充(肥田式強健術)がどこまでも健全なのは、筋トレが原点だったからだとおもう。筋トレを否定する私でもそれは肯定的にみる。

肥田強健術には気功的な指図は無いが、肥田さんは氣を氣として頓着していなかったのかもしれない。氣が無かったわけではないだろ。

ことさら気功をしていない人にだって氣の走行や氣の走行の乱れはあるのである。そうじゃなかったら気功施術は気功をしている人にしか効かないものになる。だが現実はそんなことない。


筋トレだろうがオシャレヨガだろうが、極みへと向かう人は向かうんだと思う。禅だろうがスピリチャルだろうが、脱線する人は脱線するんだと思う。
ミもフタもない言い方だが、その人の資質ですべては決まっているとおもう。
才能ではない。資質です。


下丹田と正中心のちがい

下丹田と正中心の違いを私の所見で述べるならば、正中心は下丹田よりもさらに物質的ではないということ。

腰腹間の一点とやらにあるのは、転換の扉のようなものである。そこは出入口である。下丹田を養成することもまずは大事ではあろうけれど、下丹田は有限のチカラ、正中心は無限のチカラである。諸君、私はべつに都市伝説的な話をしてはいないのだ。わからなければわからなくてかまわない。上等です。人によっては有害な話にもなり得るので即刻立ち去ってくれたまへ。


丹田には重心を落とせるけれど、正中心には落とせない。重心が居座る場所(次元)ではないからである。
正確にいうなら正中心という場所など無いのである。


足腰にすらもたれかからず(姿勢)、頭や胸で思い煩わず(瞳孔のフゲイ、観念の不要)。電磁力か何かで宙に浮く地球儀を見たことがありますが、正中心肚はそれに似ている。肥田春充にもし伺いをたてることができて、「キミィ!何を言っておるのだ、バカモノめ!」という返答があったならば、訂正する。「真中芯体はそれに似ている」と(笑)。
渚カヲルはセントラルドグマでそうやって宙に浮いていたのである。諸君、エヴァなめんなよ。




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