真体功の「型」は以前より精錬され、中身はといへば、「空っぽ」に近い。 とにかく「落ちる」。 意識が飛ぶとか体がフワっとするのではありません。ここに意識はただあり、ここに体はピタリとしてある。

ではこの「型」を、もし20年前の自分にやらせてみたなら、今と同じになるかというと、たぶんならない。型さえやりゃあなんとかなるなら誰だって苦労しない。

すべからく「型」「メソッド」とは、「結果」 である。明日の真体功は今日の真体功よりもまた落ちるだろう。体は落ちることしか望んでおらない。


次回予定 「全真全零」