スターウォーズは小学生の時に劇場で一作目を見たのみ、で最後に光る剣でバチバチ戦ってるシーンしか覚えていない。

村上春樹の小説は18才の時に「ノルウェイの森」を読んだのみ、で覚えているのは表紙の色だけ。

ディズニーランドには行ったことがない。


以上のものは、今体験すればナニガシカの印象は焼き付くような気がしないでもない。
それらとは少し違う話になるけれど、昔々大流行してたシドニィシェルダンの小説を、人気が下火になった頃に古本屋で百円で買って読んだことがある。
読んでるあいだは面白かった。面白かったという印象は今でもある。でも、読み終わった直後からして内容を何も覚えていない。
カラオケバトル的な番組の歌を聴いたときの感覚に非常によく似てる。




ココロというものは、イシキのブレだとおもいます。それは自然なことであり、美しくも醜くもあり、歌であります。ブレを悪と捉えて変な瞑想や変な修行でソレを抹殺するのは不自然なことである。そうして無我の境地を味わうことができたとて、それはただそれだけのことでしかない。

しかしながら、

ブレでありハーモニーつまりたんなる現象であるココロという名の歌もまた、本源ではない。その個性は独特であり愛すべきものでありながら、ココロそれが自己であるということにはならない。