中心活力の効能

効能か…


中心が活性化している状態と、拘束して不活性な状態では、ある違いがあります。

拘束不活性だと、意識思考が水平方向にばかり働く。過去←→未来

それで別に問題ないならいいのですが、出口のないトンネルにいるような息苦しさを感じながら生活を送ってる人は少なくないと思うのです。
未来の希望展望が持てないとか。

過去を振り返って前世まで反省(笑)したところで、何になるというのでしょうか。そこから前に進むとしても、レール上のトロッコ列車に乗ったまま、やがて過去になる未来に運ばされるだけです。

水平意識では、全く認識できないものがあります。中心が活性化すると、垂直意識が働くのですが、それは例えば、一つの想いをズーっと引きずらない。どちらかというと閃きの連続に近い。


垂直意識は今今今今今今今今今だけしか捉えないのです。時間やカレンダーの存在するこの社会では水平意識が無ければ生活が困難になりますが、それだけだと、牢獄にいるような閉塞感に陥る人は、どこかで知っているのです、こんなはずじゃないのに、と。

そこで水平意識はレジャー、政治運動、ドラッグ、神社へ頼み事をしに行く、などなど色々な事をしてみるのですが、全てはトロッコ列車旅行の束の間の風景です。

中心活力から生まれる垂直意識、感覚は、ふと空を見上げた時にファーっとする感じと地べたに寝そべって安心感に包まれる感じと立ってシャキンとする感じが同時にある、みたいなもんだと思ってください、とりあえずは(笑)。中心活力は、ストレスキラーでもあると思います。

次に書くときは、身体能力の効能についても書けたらと思います。





中心とのカイコウ

私は、肥田式強健術というものに、実直に、心血を注いで絶ゆまぬ鍛練をしてきた者ではありません。ですから、「聖中心」なるものについては知ったようなことを言う資格はありませんし、第一、よくわかりません。

それに。肥田式を知っている、やっている人は、勿論私も含めて、ぶっちゃけ、聖中心という言葉の背後に「悟り」「超能力」「超人」などという概念を隠し持っていますよね!(笑)我々は聖中心という名の別の何かが欲しくて欲しくてたまらないのです(笑)。

というわけで「聖中心」なるものはさておき、中心について書きます。

骨盤上部内部に、中心点があります。しかしここは、スタティックな(静止した)一点ではありません。ここは、活きている。動いている。力や精神を込めて意をぶつけるところではない。どうにかするところではない。どうにかすることがあるとしたら、この活動を妨げないこと、そしてより活かすこと。

中心点は中心線と共にあります。活きている。動いている。これはワタシであり渡しでありワタシを含む全部の一部である。
…なんかバカボンのパパみたいになってきたんで、 この辺にしときます(笑)。



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