インナーチルドの解凍、 インナーチャイルドボディの開放

インナーチャイルドというと普通、幼い頃のトラウマ云々という深層心理について言い表す用語かと思いますが。

「インナーチャイルドボディ」とでも言いたくなるものがあります。これは肉体でもないし心でもない。そして、トラウマで傷付いた何かでもない。チャイルドと言うのは、子供というより「無垢」という意味合いです。

これは、傷つかない。死を恐れてもいない。関節が無い。

そんなものは無い!とするなら、無い。チャクラみたいなもんでしょうかね。でも実感するならそれは有る。

これを氣と呼んでも差し支えないのかどうなのか。氣の共通認識は曖昧です。心理トリックやプラシーボの作用も氣の範疇とする人もいるし、解明できたものは全て氣ではないという捉え方をする人もいるでしょう。

「愛」と似ています。
愛はある。愛などないとすれば、無い。でもその愛とは一体何のことかと愛という言葉以外の解説解釈を言い出すと、バラバラに散る。「無償の愛」とは何のことか?無償でない愛があるならば、愛と言うのは何のことか。

言葉には関節がある。


インナーチャイルドボディは傷つかない。死を恐れていない。

続き。

前々回記事の所に早速コメントを頂いておりまして、ありがとうございます。


さて前回の続きを書きます。

私が若い頃は、2足歩行は人間だけが出来る驚異の動作であり、他の動物やロボットには不可能な神秘ともいえる能力である、みたいな事が言われていたのですが…覆りましたね。動物ではボノボが、物を持ち2足で歩き、共同作業をするみたいです。ボノボは闘争もしないらしいです。

では、ロボットより馬鹿でひ弱で怠惰で、戦争も行う人間には何の魅力があるのでしょう?別に無くてもいいじゃないかと?…私はそうは思わないのでまだ話を続けます(笑)

では、喜怒哀楽の豊かさこそが人間の魅力でしょうか。…私はそうは思わないのでさらに話を続けます(笑)

では、そんな不完全さこそが人間なのさ、でしょうか。…はい、次!(笑)

ヒトはまだ、2足歩行を極めてはいないのではないかと思います。従来型の歩行では運動能力も発想力も頭打ちのままなんじゃないか。スポーツトレーニングの進化の方向の話ではありません。歩行の深化あるいは大転換ということ。歩行、とは「姿勢と動作の基本」のこと。独立した生命の基本のパフォーマンス。


究極の2足歩行という次元にシフトするのは、人間に与えられた可能性であるならば、過去に言われていた「人間だけの…」と云われた所以も、あながち死んだ話ではないと思います。

その歩行とは?そして前回の、サイボーグは氣を使うのか?はい、どんどん話が面白くなってくるのですがどんどん風呂敷が広がってしまいました(笑)収束させられるだろうか… もう止めるかも(笑)止めないかも。


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