スピリチュアルと科学。まるで水と油、嫁と姑、宗教と宗教のような関係を保っています。

物理学で「全ては同じもので出来ている」 スピリチュアルで「すべては1つ」 と同じ結論を出しているにもかかわらず。


フィギュアスケートではテクニカルな部分を細かく視るのと、表情も含めた全体の表現を観るのと、両方含めて採点するみたいですが。
科学は採点的でスピリチュアルは観賞的です
科学でもスピリチュアルでも4回転ジャンプの精度は重要ですが、科学にとってはイナバウアーに価値はありません。


国語の感想文の宿題に例えます。「銀河鉄道の夜」を読んだ感想文を、「日本語で縦に記載されていた。生まれてすみませんという文言がどこにも書かれていないのは、作者が太宰治ではないからだ。」などとは書かないでしょう。が、そんな子がいたらそれはそれでスゴイですね(笑)。


氣とは何かと言われても、私は、氣とは氣だとしか言い様がありません。気分でも気のせいでも神秘でもありません。遠赤外線の一種でもないと思います。しかしまた、何とでも言えるといえば言える。

ただそれは、武術や療術においては、使えるか使えないかが有るか無いかと同義になると思います。