味覚は平凡で食にコダワリもない私ですが、氣覚は働きます。
ピーク時間を過ぎた飲食店に行き、出てくる料理に氣が入っていないことがよくあります。手抜きをしているつもりはなくても、氣が抜けています。
日本が誇る最強の氣メシは、オムスビだと思います。
武術やボディワークの「型」というのは、料理で云うならレシピです。
肉食が良いことか悪いことかは知りませんけど、肉食で得られるエネルギーのキメは粗いです。
「主義主張」によって菜食する人と、単純に菜食しか欲しない人では、醸し出す雰囲気が結構違います。
霞だけ食べて生きられる仙人ならともかく、私達は栄養物質も摂って生きています。
氣は、アミノ酸やポリフェノールやコンドロイチンの次の次の次あたりに発見されるであろう栄養素ではありませんし、そういった全てを配合したサプリという訳でもありません、しかしそして仙人じゃなくても、気功の修行なんてしてもしなくてもオカルトブームが来ても来なくてもカメハメ波や波動拳が打てなくても、生きているからには…
てゆうか、ハッキリ言って、私達も、氣なのです。
先日お越しのお客さんもそうだったのですが、此処には、転職の合間に初来する方が何人もいます。あと何故かわからんのですが愛知県から何人も来て頂いてます。
街を足早に歩く人達を見ていて思うのは、肩が上がって表情は険しく、頭の中が何かで一杯に詰まったままの人がゾロゾロ 揃いも揃ってドコいくの?ということです。駅前のマッサージ店でしょう(笑)
此処は店舗ではなく、気軽なオーラは出ていないので、仕事の合間にサクッとリフレッシュしたい方の目には止まりません。コチラとしてもリフレッシュどころか「フルリセット」がコンセプトですし(笑)人生の合間にいる方のアンテナにメッセージを送信しているのでしょうね。
チャンネル〜は 其のまま
最高にラクで1歩1歩歩くことが楽しく、非常に愉快になる靴をたまたま1足持っています。全く、全く、全身の喜び具合がハンパない(笑)。落ちた重心を変にスポイルしたり邪魔したりしないんですよ。
通常レベルの良い靴っていうのは、ラクですけど、足が疲れにくいというだけです。前に進む力を手伝ってはくれますが、中心軸も前に前につんのめり続けます。
中心感覚というのは、愉快です。中心感覚を掴もうとするのは、不愉快だからです。でも、中心感覚は、掴めません。掴んで得た(ように思えた)ものは全て無くなっていきます。掴むという二度手間な作業をした挙げ句、掴めないことに執着し、幻を追い続ける羽目に陥ります。
手放す、もしくは足放せば(笑)、愉快が残るのですが。もっというなら何もしなけりゃ愉快があるだけなんですけど(笑)。
ラクをして何もしない、ラクしながら何かをする、というのとは全く違っていてですなぁ…
愉快だから何かをする、だから愉快。
うん、中心感覚ってこんな感じ。