『氣』なんてね、特殊なものではないわけですよ。セレブが身に付ける高級腕時計とは違うのさ。カルトな人物が発する謎のパワーでもないし、崇高な精神の人だけに神が与えるギフトでもない。

「氣」を信じるとか信じないとかっていう思想や好み(笑)とは別に、身体の、氣の出入り口が閉じている人はいます。自分では開けないし、他人にも開けさせない。このような状態は、信じる信じないの意識との関わりは確かにあるのですが、イコールではない。


ポカーンとしてれば氣は出入りします。ただそんだけ。単純な話だべさ。 しかし何だかんだ言って、人はポカンとすることがありません。何かに気をとられ、何かに集中し、何かを得ようと必死になり、疲れて弛緩する。弛緩とポカンは似ていますが違います。

ポカーンとしてれば、成るように成る。ポカーンとするのに、特別な呼吸などいらない。

では、ポカーンとする方法は。

あ り ま せ ん 。

あるわけねえだろ。

親愛なるセニョール、セニョリータ。よく聞いとくれ。「方法」には全てに、ポカンを塞ぐノーポカンといふラベルがもれなく、付いてくるのだよ! あなかしこ!