瞑想という肩書の行いをしなくとも、人は知らず知らずのうちに瞑想状態でいる時があるはずです。
例えばオートバイ運転中に瞑想状態に入る人は沢山いるんじゃないかと思っています。編み物をしていて瞑想に入る人もきっといるでしょう。

そこには安堵、冷静、情熱、静かな興奮が共存しています。サッサと目的地に着くことだけ考えながらセカセカと走ったり完成させることを急いで糸を編んでいたなら、その限りではありませんが。
そういう何らかの没頭できるツールに依れば瞑想に入れるのですが、ツールに依らなければなりません。

さて、では、「瞑想」そのものを行うとはどういうことでしょう。
何かの「行」をしている時や何かの集会に参加している時だけ瞑想に入るなら、それはそれでただのツールです。バイクや編み物と同じこと。
瞑想とは、ツールや行ではありません。状態のことです。ここで「瞑想」を単純に「生きる」に書き換えます。

生きる為に何かをする、何かをしている時だけ生きている。これが普通に私達が何千年だか何万年だか知らないけどやってきた生き方??です。

私達は、本当は、「生きているから」何かをするんです。しているのです。

瞑想とは、生きていることを味わっている状態のことです。