このバックベンドは、膝立ちの姿勢から地面スレスレまで倒れこみ、また起き上がるわけですが、こうして地面の直前で静止したとき、意識的あるいは感覚的に、ある種の転換があります。

体が倒れこむのをこらえているのではなく、体を『起き上がらせて』いるという意識感覚になる。

目や腹が後ろ(背中)側にある『腹這い』の蛇や龍が、地面から体を立ち上がらせているようなアンバイです。ソレがまたさらに直立上昇するみたいに、フワァーと体を起こしていくのです。




でさて。
今まで文章で、肩甲骨だの仙骨だのといった骨を動かすことについて書いてきましたが、正確にいえば、骨にまつわる筋肉や関節の運動について書いてきたわけです。



今記事では正に『骨』そのものについて書き留めておく。

筋肉でなく骨に宿る意識、といいますか、なんつうか、骨にまつわる筋でなく骨自体に、運動能力があるようにかんじています。筋肉運動とは一段レベルのちがう、運動と呼ぶのも適切ではないような、静かな、能である。


歳を重ねていくにつれ、その後ろ姿がその人の親に酷似してくる様子をよく見かけます。骨格は遺伝の影響を強くその身に忍ばせているわけですが、そのような近々の遺伝だけでなく、骨は、遥か昔からの生命、またヒトの集合無意識レベルの情報によっても形成されておる。


端的に言って骨は『過去の遺物』である。
だが、生きていくうえで全く変えようのない過去プログラムではないです。生きているかぎり骨は化石ではなく新陳代謝しています。


ボキボキ整体で骨格バランスを一時的に矯正したところで、遺伝的クセは変わりません。また、カルシウムとビタミンDを沢山摂取して骨を強くしましょうという物質的な話でもなく、

『骨の髄からの運動や呼吸』がおこなわれているのだ、っていいたいのです。
少し前の記事に『シンタイの感性』『シンタイの知性』とかなんとか書きましたが、骨は、シンタイ知性の宿るところではないかなとかんじます。


つづく