肥田式強健術が卓越した運動である要素のひとつは、『時短』です。シンタイコウでもそこは受け継いでいる。

反復動作を何十回何セットとか行うメニューのトレーニングは当たり前のように流布していますが、私はそうゆうのが受け入れられない。その理由は、
1 醜い
2 退屈
3 数や時間をこなせばいかにもなんだか大したことをやった気になるが、それは気のせい

そういうやり方が愉しいのならば全くこの理由は当てはまらないです。『結果』として反復動作を何十回もやることは私だってあります。
だがそれはあくまでも結果です。設定メニューではありません。

なぜ肥田式やシンタイコウが時短で済むかってのは、やはり、中心力運動だからである。

中心力運動と部分力運動では、運動で感じる『悦び』が全くちがいます。 球技やスポーツが好きな人は、それが部分力運動であっても悦びはあるでしょうが、そういうことじゃねえんだよね。これは私の個人的な趣味嗜好ではないとおもう。

中心力運動から沸き上がる悦びって、『自我的な悦び』とはなんかちがうからです。


たとえば超一流のアスリートが、ジャンルを超えた異次元の姿を見せてくれることがありますが、そのときその人はきっと、個我的ではない悦びの絶頂を味わったりしているんじゃないかな。またたとえば歌手とかでも同じこと。だがそれは、突出した才能のある人だけが味わえることとは限らないとおもう。勝って一番になるとか、大勢の人に評価されることで得られるものではないからです。そういう『結果』以前の、結果なんて全く求めていない悦びに、今すぐ誰だって浸る資格があるのです。



次回予告
『真命』