シンタイコウ式 いぶよせの術??的な。



正座なり真体功式『中体』をするときに、『あーえーいーおーうーん』と息を吐きながら姿勢をキメていく。発声法でなく呼吸法なので、音的には『ハァーヘェーヒィーホォーフゥーン』となる。
中心(仙骨)には五種類の刺激が入る。

音で岩を宙に上げるというチベットの僧侶とか、歌で複雑骨折を一瞬で治すというアボリジニとかの話が、とても薄らボンヤリとではあるが、ホラ話ではないのだろうとかんじる。精妙な振動を発することや感受ずることを、人はシンシンで確実におこなっている。知らぬはすっかり鈍くなっている我々の表層意識ばかりなり、である。

だいたい、やっと今になってチョー薄らボンヤリとしかわからないってゆう、この私は、よくもまあ半世紀ものあいだ、肉のかたまりのようにシンタイを扱ってきたものだねと反省するしかないが、鈍くしないとやってられなかったことも、あったしな。そんな『体育』、なかったしな。


♪季節のないまちにうまれ 風のない丘にそだち 夢のない家を出て 愛のない人にあう
(泉谷しげるもしくはシオン、春夏秋冬)


でもシンセンにシンタイコウできてるし、いいんじゃね。


♪今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてが報われる
今日ですべてが
はあーじまるさーへえーひいーほおーふうーん。








ウニヒピリ、出雲、シト 序にかえて その二



七年前に、自分の免疫力が異常に低下したときのエピソードをはなします。


突発的に急激に、副鼻腔炎になりました。口の中が痛いなあと思っているうちにあっという間に顔の右半分が腫れ上がり、目まで塞がりました。かつてない痛みに発展しました。両手を骨折したときよりもはるかに痛く、眠れませんでした。ウツラウツラしているときに夢のようなものを見ました。私は私の葬儀に参列しており、私は私の遺体の前に座っておった。

発熱や痛みに対して、いつもなら私は何の薬も飲まず、安静にして経過させるのが常でしたが、そのときばかりは直感的危機を感じました。自己の免疫力が通用していないとおもいました。

骨折で手術したとき以外は、10年か20年かわからないがとにかく記憶にないほど行っていなかった病院へ行きました。軽い手術をして抗生物質と鎮痛剤を処方されました。死を予感させるほどの痛みは無くなっていた。鎮痛剤は飲まなかったが抗生物質は飲んだ。

闇雲に自然治癒に期待したり、痛みや苦しみは好転反応だと『思考で』判断するのはカルトですが、何でもかんでも薬を飲むのもまたカルトでしょう。『痛み』をしっかりと感じることは大切です。

さて、なぜいきなりそんな症状が現れたのか。

その三日前、私は、爆発的にネガティブなマインドで自分を呪っていたのでした。それが引き金になったとおもいます。
ほんとうに『爆発的』なネガティブさだったのです(笑)。



『コロナが憎い』という発言があります。大震災のときにもありました。『津波が憎い』と。
誰しも、嫌なことは嫌だよな。もちろん私も嫌なことは嫌だ。
だが、憎んでいるモノのその正体は、ウィルスでも津波でもありゃしない。



つづく






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