ボディワークで力を抜ききるよりも、慣れた力を入れてしまっているほうが、じつはある意味では、ラクなのです。そして、
これって、
仕事や人生を深く追求して真剣に悩んだり苦しんだりするよりも、感度を鈍らせて長いものに巻かれてガンバっていたほうがある意味ラクなことと同じなのです。

日本の禅行ってのは氣功立禅やヨガとちがって氣を回すことすらしてはいけないのだろうか?私は座禅でも氣功しますけど。あたりまえに。
なぜかって、キツイ思いをしながらわざわざ「固い」姿勢で座りつづけていたら、へんな耐性がつくだけでしょう?んなもん不動心じゃなくてガマンリキじゃん。
冒頭の「ラク」とこの「ガマン」はまた同じものなのである。


ところで私の甥っ子と姪っ子が乳幼児だったころの話をしましょう。
二人が歩き回れるようになってきて、ひたすら家の中を散らかしてしまうのを、誰がたしなめたところでまったく聞く耳などもたなかったときがありました。ですが、私がある秘策を使いましたところ、やつらは自ら率先して片付けをしはじめました。片付けをさせてイイコイイコしたとかいうことではありません。二人は片付けるという行為を純粋にしたくなったのでした。私の秘策は大人の視点からのものではありません。一緒に遊んだだけです。ただし、やつらよりはるかに遊び上手なコドモとして(笑)。

よーするに、二人は私と遊んで私が思いっきり散らかすのを真似して思いっきり散らかし、やがて私が片付けをしはじめたのを真似して一斉に片付けはじめただけなんですけどね。遊びと片付けと子供と大人の区別などなにもなく、そこには遊びだけがあったのであります(笑)。


でも、何せ子供のエネルギーは強いから、大人は十二分に付き合っていられないのですよね。核家族だったら、片親だったら尚更に大変でしょう。私だってたまに相手するだけの無責任なオジチャンだったから出来たようなもんだ。


シンタイコウとは、コドモエネルギーをよみがえらすようなことです。ですから大人な部分からすると電圧が高い。でもその変圧作業はラクやガマンをすることなんじゃなくて、一緒に遊ぼうぜってことなんだよ。




次回予定
「真性器エヴァンゲリヲンのエントリープラグは肛門から肚に入ります」