たびかえる

ゲームはしないしスマホを持たない、のであるが、非常に気になるアプリがある。すごく気になる。その名は「旅かえる」。

新聞記事によると、そのゲームはまず、カエルに支度をさせて、旅に送り出すのだそうだ。

カエルは時々旅先での写真を送ってきたり、お土産を持って帰ってきたりするらしい。そしてプレーヤーは、そんなカエルの帰りをただ待つだけなんだってさ!あみん かっ!

しかしカエルが3日ほど音信不通だったりすると、メシがノドを通らなくなる人もいるらしい(笑)

非常に興味がある。やってみたい。でもそれ以上にスマホが要らない。 それにそもそも…

…リアル旅カエルなのである。人生そのものは旅カエルである。私自身はまずカエルである。色々な人生の旅をしている。
時々送られてくる写真を楽しみに待つ私、帰りを待ち帰りを喜ぶ私というのは、分裂症のカタワレとかいうんじゃなくて、真我とかハイアーセルフとか真中心とかそういった類いの、存在のフルサトとでもいうような、そんなところからの観照者なのです。
前記事の内容みたいに例えるなら、色重力=旅するカエル、旅
空引力=プレーヤー(待ちビト)、中心


神様とかいう名の大我は、私達全員の旅と帰還を楽しんでいるのであろう。






しんわ

地球上では、引力も重力もある。どちらかだけしか捉えることが出来ないわけではないのですが、映画に例えると引力はスクリーンで重力はフィルム(映像)だから、普通にしてりゃあ人の感覚や意識は重力を捉える。もしくは囚われる。

「色即是空」の、色は重力、空は引力

龍宮城は、地表のような時間のある処にその所在は無い。かかる重力も地表よりも軽い。よって太郎は酒を飲んでいるということになるのだ。よってスクリーンに写る映像も、苦しみ悲しみのような重めの描写はミスマッチなので、鯛やヒラメが舞い踊るしかないのである(笑)。
そして太郎は歳をとらない。乙姫さまは「音秘め」ともいう。時間がなけりゃあ音も無いからである。龍宮とは「理由空」ともいう。時間がなけりゃあ理由なんて要らないからである。

さてしかし地表に生きる私達は、スクリーンに写る映像ドラマをとらえて、時間を過ごす。すると「印象」が発生する。「感想」とかね。喜怒哀楽が発生してそれを思考して分析したり繰返し味わったりとかするということです。そんなドラマ達をずっとずっと味わっていたいが為に、輪廻転生というものまで「想像」して、永遠とやらがあるけれど、その永遠は自転する地球の力によった永遠性であり、存在が存在するという存在の久遠とはまた別の、「太陽系があって地球の自転があって地表にあるところでなら起こり続く現象」である。

太陽もなくなって地球の公転もなくなって地表もなくなるとなると、スクリーンもなくなるということになるが、そうなってくるとどうなってくるのか、太陽系があって公転があって自転もする地球の地表からこの記事を書いている私はさっぱりわからない。






前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2018年01月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
アーカイブ
カテゴリー