明日が僕らを呼んだって
返事もろくにしなかった
BUMP OF CHICKEN『天体観測』
今日いまが どんな昨日よりも好調よ
明日から そうは思えなくたっていいの
東京事変 『閃光少女』
あけましておめでとうございます。
さとりを開いた人は「過去も未来も幻想でしかない」とアッサリバッサリ言い切ります。しかし平凡な私達は幻想とまでは思っていない。
しかしほんとうは誰でも、今しかないことを完全に見失うことは出来ないとおもう。九分九厘忘れているとしても。
大体、悟った人が使う言葉を我々は我々の言葉に換言してしまう。幻想という言葉を我々の思う幻想ととる。愛という言葉を我々の思う愛ととる。宗教はテロにすらなる。誰が悟っていて誰が悟っていないかだってわからない。
未来や過去という幻想?があるのは、遠心力や重力の存在と関係があるのではないかとおもう。
重力に身を委ねたときには過去をよすがにするし、重力に抵抗すれば過去はのしかかるし、それを基点にすれば遠心力とともに未來がソウゾウされる。地表上の時間というものもこれにて発生している。
地球引力は垂直落下である。太陽引力と月引力もあって、それとの兼ね合いは生態リズムと関わっているでしょう。スピリットととも関係しているでしょう。これらは水平に刻まれる時間とは違うベクトルのものだ。
音楽は時間の芸術ですが、打楽器のみの民族的儀式的なリズムは水平時間との同調ではありませんし、私個人的にブルーハーツがいつまでたっても懐メロには聴こえないのは、垂直方向の歌だからなんだとおもう。G線上のアリアは普遍の水平時間を美しく伝えてくれる。第九やボレロは垂直水平ミックスって感じがする。ダイナミックスだ!。
人体の脈や血圧、分泌との関係もあります。
なんにせよ、解脱や死を迎えないかぎり、地表水平時間のマボロシ込みで私達はいるわけですが、それは甘かったり苦かったりする。先天の命は甘さ苦さに酔って忘れがちな垂直の力である。
次回予定 「リキミで脱力をできるわけがないのと同じに、自我で観照や気づきや静寂はできひん。観察行とは、自我が抜け目なく何かを観ようとする行為では全くない。出た糞を食べたら脱糞じゃないでしょう」