俺の今今今世 改

映画がわかりづらかったので、もう一度見直してみた。

感想は、、。

ヤベエ。俺はいろいろ思い出してしまった。

このブログで「出雲」についての話をどこまで書いてるか定かではありませんが、30代の頃の私は、不思議体験を色々していた。キーワードは出雲だった。実際出雲にも行った。奈良の三輪というところへも。そしていろいろあった。

映画を見ていたらどんどんそのときのことが思い出されたり思い出せなかったりしてきて、主人公逹と自分がクロス(トリプル?)オーバーしてわけがわからなくなった(笑)。

今の自分というパーソナリティ?アイデンティティ?が、古代にもあったとは思えないから、前世云々という話は私は信じない。けれどもヒトのDNAだかRNAだかのジャンク細胞に眠る未知の働きについては、何かがあるとおもっている。時空を超えた作用が眠っているとおもっている。


それが、映画を見ていたら、またムズムズした。
君の名は…。 エンドロールはまだ見えていない。





なんもしてねえ

脱力の話をするときなどに、今まで時折「何もしない」という表現をしてきましたが、もっと適切な表現をしましょう。

「何もしていない」

ほんとうは、何もしていない。それが実相だ。

何もしないという言い方だと、「何もしないことを、している」といったニュアンスがつきまとうが、それでは何もしていなくはない(笑)。表面のリキミが静かにしているだけである。

動作や現象が何も行われない何も起こっていないという事ではありません、力強く動いたっていいし、何かしたってしなくたっていい。でも「ソレ」は結局何もしてはいないのであります。ソレは、ボディワークなどをしようがしまいが最初からずっと何もしてはいなかったのです!


外側の動作、現象、そしてそこにいる自分。これらすべて、「現象」である。現象と自分を分けて、自分が現象を操り操られしているかのように錯覚しているのが、一般的平凡な我々の感覚であるが、その自分とやらも、実態ではなく現象の色分けされたひとつの色に過ぎない。

ほんとうは、何もしていないのです。真中振だけが 何かをしている、と言い換えてもいいけど。

哲学や心理の話をしているのではありません。ボディワークのはなしです。そしてボディワークの 話ではありません。

現象(自分)が 何かをしているつもりの錯覚なり茶番劇を、落語のネタみたいに聞くこと(観ること)ができたなら、落ちるとおもうよ、リキミとか。おかしくて。



俺の今今今世

超大ヒットしたという映画をTV放送でとうとうみた。前世の話かと思ってた。パラレルワールドの話だったとはね。

感想は、、 。 映画の感想は特にない。フツーの娯楽といった印象なのでむしろ何故に超大ヒット作なのかと思ったときに、いろいろネガティブなことを考えました。

わかりにくいシーンがいくつもあって俺はジジイになったんだな、スマホやCGやITやAIやグローバル化に興味が湧かずただただ生活の負担にしか感じないんだよな、むしろ俺自身が今この時代とは別のパラレルワールドに移行したいもんだと思っちまったね。
でも結局そこでも同じだと思いますけど。

並行現実の移行のしかたっていうのは、実際はもっと地味で地道なことの繰り返しで、映画のような劇的な展開じゃないから判らないほどのスライドなんじゃないかな。みんな、地味に、ときどきスライディングをしているのではないのかな。




前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2018年01月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
アーカイブ
カテゴリー