小周天の図なんかを見ると、身体のフチを気が回るようなかんじに描かれている。でも、実際はもっともっと内側を回るものである。それと「気を回す」というけど、これもあんまり頓着してやらないほうがいい。リキミと同じになるからである。腰は入る、気はまわる、チカラは出る、のである。
腰、腹の姿勢術にしても、体表の前後面のカタチ、チカラではない。もっともっと奥です。腰とは中です。腹とは中です。

私は指圧みたいなことをするときに、指で当たって押せる筋肉をどうにかしているわけではない。 そのスキマやもっと奥に向かってチカラをかけています。

で、これらの話はどれも「イメージ」や「そんなつもり」でやるとかいう漠然としたことではない。実際に、そうするのである。私の兄が昔キックボクシングをやっていました。いい蹴りのコツとして脚が胴から生えてるようなつもりでそこから蹴れといったような指導があったといいます。でもそれはコツとかツモリというより、実際に、脚は胴から動くのです。

極意とか神秘とかいう風にいわれるものごとは、きっとほんとうは、当たり前のことを知り、当たり前のことをやる、ということに他なりません。当たり前のこととは、俗習、常識、クセ、ではありません。

当たり前のことを当たり前にやるというのを言い換えるなら、何もしない ということです。