その4 ボディフルネスで自身とサイカイ

♪ ババアなんかより

哲学なんかより

苦しみなんかより

俺のほうが正しい

そうかそうだ

(ハイロウズ)



教育とやらは、とくにゆとり教育以前の昭和の教育とやらは、犬になることは教えても、猫であることは許されなかったのでした。

猫がジッと寝そべっているのは、リラックスしてなおかつ臨戦態勢にして いるからだという。たしかにそうだ。
身体がどんどん固くなってゆく十代の頃、私はわずかな本能だか何だかしらないけど、わざとだらりゆるりと動作することがあった。いわゆる「深呼吸して肩の力抜いてリラックス」といったイイ子ちゃん的なものではなかった。ダラーっ。ボサーっ。だった(笑)
だが、目上の者は、それが気に入らないみたいで。怒り、叩かれたことが、度々あった。そんなこんなで、オテやオスワリやチンチンを、私も、それなりに、身につけていった。

そうして私の身心は、少しずつ混乱していったのかな。二十歳頃は随分と身体は固かったです。

近年、発達障害とか不登校の子供は激増しているという。現代のその子らは、たぶん、私よりもはるかに、自己に忠実でしかいられないんだろう。

仙骨の解放は、閉じ込められていた記憶も出てくる。そうか、そうだったんだなあ、リリン。どうもありがとう、さようなら。奴隷体育のメモリーよ。








その3 ボディフルネスで地球とまぐわう

脱力すると何がどうなるかって、肉体の神経だとか内分泌だとか筋肉の作用はともかくとして、何よりまず地球の勁道と身体の勁道が接続するわけですよ。こんな抽象的な説明では納得できないかたごめんなさい。でも端的にいうならこういうことなんだからしょうがねえじゃねえかよ。


身心拘束の元締めは仙骨周囲にあって、ヒトビトは仙骨が磔にされているような状態になっている。覚醒っていうのはこの拘束が外れることを指します。エヴァっぽい表現がお嫌いなかた、ごめんなさい。でもそうゆうことなんだからしょうがねえじゃねえかよ。


強健術はこの拘束を破壊する運動っぽくて、派手である。中国気功のようにじっくり身と氣を練る時間がかからないのはそうゆうことだからです。また、武術や仙道や強健術がイメージ気功とか霊能と違うのは、勁が腹腰を通るからである。胸とか頭の一部で周波をチャネリングするような一過性のものではないのです。

「ハラで考えよ、感じろ、生きろ」とはよくいわれることです。拘束された仙骨身体からの脳でこれらのことを考えたところで、何もわからず何も感じず堂々巡りにしかならないのである。

仙骨が解放されれば、方向感覚や重心感覚などのバランスや、自分がここにいる、あるということを、頭からは定めなくなる。頭は理解や観察に適した部分身体であるが、創造の源泉ではありません。地球の勁〜ハラ腰の勁〜胸の勁〜頭の勁のスムースな接続には、仙骨周囲が元締めではあるが横隔膜や心臓や首などにもゴモクがたまりやすいので、仙骨の拘束さえはずしゃあコッチのもんだということでもなく、ファイナルインパクトのまえにはナンチャラインパクトがいろいろあったりするわけですが、またエヴァっぽくてイヤな表現だなとおもわれるかた、ごめんなさい。私は拘束された人の頭脳に伝わるような物言いはしない。


次回予定
「天道とまぐわう」








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