エイジング その2

かつて沢山読んだ野口整体に関する本の中に、野口さんが「身体なんて古くなったら脱ぎ捨てりゃいいんですよ」とかなんとか言ったという話がたしかあった。


当時私は、このことばは「身体を使いきったらあとはさっさとこの世からオサラバすりゃいいだけですよ」といったスピリチャルなニュアンスとして聴こえた。今でも変わりはないが、さらに、いろいろと多層的な意味を含んだことのようにもおもえる。


リキンでくたびれた身体のパターンから、さっさと見切りをつけりゃいいだけですよ


腹と腰の充実や緊張なんてさっさと手放せばいいんですよ


腰には上腰と中腰と下腰があって、上腰は腎臓の高さあたり。中腰は肥田式で正中心といっているとこらへん。下腰はヨガでいうところのクンダリニー覚醒上昇を抑えている、結節点だか緩衝点だかと言われるところである。

中腰の緊張がすなわち「無限の聖中心力」ではないでしょう。肥田式は私達にとって、チカラを込めるといったニュアンスがつきまといがちだし、「中腰下肚(肚を三分割した場合、中肚)」のとこらあたりを崇め奉りがちにもおもえるが、なんかね、それは鍛練の過程において、必要なことではある。それをやらないでダラけた鈍い腰に戻ってもなんにも愉しくない。でも、

そういう身体すらも、いつまでも「やっている」必要もまた、ないんですよ。








エイジング

去年の夏にも載せたことのある写真ですが。
江戸一という祭服メーカーの、藍染の鯉口シャツです。

20年経ってもまだこんなに藍色が濃い。だからといって全然色落ちしていないというのではない。最初は圧倒的な濃紺一色でした。今は、色が何かを話しているような感じというか、表情が豊かすぎる。

日本人はジーンズの色落ち具合を世界一気にする人逹みたいですが。それはジーンズが存在しなかった昔っからの感性でしょう。

人工染料では絶対出せない色合いなのかはわからないが、とにかくイキモノ感がハンパじゃねえ。やがて生地が破れて服として着られなくなっても、棄てずに何らかの二次使用するとおもう。


私は、なにかとボディワークになぞらえてものを観る。というかほんとのところはボディワークすら何かになぞらえた行為であるけれども。

このシャツに、この身体に、私は何を観ているのか。
…シャツをみてるし身体をみてる(笑)。

これもまたほんとのところである。


これが。








前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2018年10月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
アーカイブ
カテゴリー