合気と真体功

王貞治さんの一本足打法は、植芝盛平の弟子の荒川さんという人から指導を受けて出来た打ち方だというのは知っていたけれど、あのフラミンゴ打法の何が合気道の要素なのかを、今の今まで考えたことはなかった。が、さっき寝転がっているときになぜかあらためてモーレツに考えた。

ピッチングモーションとのタイミングを計るだけなら、べつにあそこまで綺麗に足を上げなくたっていい。あれはあきらかに体軸を通している作業である。

私は布団から起き上がり王さんの打法を真似た。 (あ、今思い出したが、王さんのホームランを生で見たことがあるぞ、俺)


…上肚じゃ。上腰だ。これは真中芯を使ったスウィングではないのか!
まちげえねえ、そうだろ王さん、荒川さん、植芝さんよ!オニサブロウよ!ナオ婆さんやい!
…行き過ぎたか


日本の道的なものは、下肚、下丹田のことが言われる。だが私は、下丹田というのは「在り方の場所」であって「動作の場所」ではないと体感している。下丹田を動作の場所にしたら、鈍くて重い。下肚は車輪であって、ギヤ(上肚)ではないといえばいいのかな。

落合の神主打法ってのは、なんとなく下肚打法っぽいような気がするけど…ともあれ、肚とは肋骨下のピラミッドから骨盤の逆ピラミッドまでを指す。植芝さんとか塩田さんとかは、肚、軸、重心を自在に操っていたんだとおもう。それは「動く禅」の魅力である。座る禅だって、超ボディワークだけどな。合気道も禅もやったことないくせに、いかにもなことを述べる私は一体何様か(笑)…真体公じゃ。ワーハッハッハΨ( ̄∇ ̄)Ψ









錯覚を断捨離する

肥田式強健術の要点のひとつに「瞳孔のフゲイ」がある。これは目で一点を凝視せずただ見開くということですが、もっというなら、「なにも見ない」ということです。

子供の頃、遊園地に、ビックリハウスというアトラクションがありました。実際には1回転していないのに、目と体感を錯覚させて自分が部屋でグルグル回っているようにさせるものでした。あれはもし目をつぶっていたなら、座っている椅子が90度程度に前後半回転してただけだったとおもいます。

目で平衡感覚をとらえていると、身体全体でとらえる中心軸とはちがうものになる。つまり正中心を貫く動作にはならなかったりします。これは「思い込み」とも関係します。脳のリキミは目からも入ります。

中心を養うボディワークは、脳が抱える根源的な不安を払拭させる。ハラの据わった人というのは、現実を脳で誤解していない。「あるがまま」とはメンタルやマインドに言い聞かせるアファメーションではなく、超単なる事実である。



次回予定『強健術で云うところの「気合」とは、頭や気持ちでやる「ウッシャー!!」というやつとは別のものである』

次々回予定『軸は、チカラは、一直線ではない。背骨はカーブしている。Sアールの真ん中あたりが上肚上腰真中芯なのである。DNAらせん や蛇行する川の流れのやうに、チカラはうねる。「真っ直ぐ立つ」「垂直に落ちる力」というのも、マクロあるいはミクロに観れば実際は直線ではない。真っ直ぐ立つ、垂直に落とすというのは厳密にいうなら 、真実や中心のチカラに対して「素直」「ダイレクト」という意味合いである』








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