前々記事の最後に、『全くフツウの運動をするのです』と言いました。
今回はこう言います

『全くフツウの姿勢をとるのです』

肩甲骨はそもそも肋骨にくっついてはいないことを認識します。体感します。
すると同時に、背骨はそもそもS字カーブを描き、伸び縮みしていることを認識できます。体感できます。
これだけで、猛烈なチカラが湧いてくることを実感します。水は循環し、ヒは燃え上がるのである。それはまったくフツウなことなのだ!

肥田式や気功に熱心に取り組むほどハマっていく『腰の反りを気にする』『正中心位置を探る』こととか、氣をいじくることとか、どうでもよくなるのです。なぜならばその答えは出ているから。

全くフツウな姿勢でいるならば、そもそも自分はナニモノかってことをも、タイカンします。考えたり、哲学したり、鍛練したり、スピリチャルなことしたり、霊視占いしてもらったり、とかしても永遠にわからないことを、タイカンしているのです。すでに。
『フツウ』とは、ナニかに流されることなのではなく、そのナニモノかとして流れていることです。