ヘンシンタイカー!で珍体行




このハラは いつかみたハラ ああ そうだよ 肥田式で 出来たハラだよ
このアバラは いつかみたアバラ ああ そうだよ 体質で 浮いたアバラだよ
このカラダは フーフーフーフーフーフーフー ああ そうだよ 真体功で 進化中だよ



余談ですが、昔々、コロコロコミックだったと記憶していますが、ヘンチンポコイダーという漫画がありました。すごい変身の仕方でした。内容は全くおぼえていません。




追記

そしてそれはやはり当然、安全安心なことではありません。ですからこういったことは、万人向けの健康エクササイズにはなりえません。

風邪をひき熱を出すまえに、寒気がしますけれども、それも「ゾッ」「スッ」に似ています。現代的な感性ではそれはマズイことです。熱出たらキツイ、ヤバイ、薬で下げようとなる。ほんとうは上手く風邪を経過させられれば、身体は以前より強くリニューアルできたりするのですけれど。

「スッ」のあとは、体内エネルギーは解放されますので、何が起こるか確かにわからない。でも、それを回避しつづけるというのは、どうなんでしょう。私は、それはやがて固着、停滞、分離となって、自分もしくは誰かもしくは何かへの負担、犠牲を強いることに結局なるかとおもいます。避ければ避けるほど、思わぬカタチに変貌したシワ寄せになるとおもいます。
世界を変えようという努力は永遠に実を結ばないのは、それが恐怖からの逃亡であるからなんだ。デカイ話に広げすぎましたでしょうか。でも分離した話ではないです。


とびきりの喜びと、とびきりの恐怖はよく似ているね。 ルシファーって、もともとは天使なんですってね。





ピンチはチャンス、ゾクゾクはワクワク。

思いがけず遭遇した恐い場面ですとか怖い話、怖い想像などによって、私達は「ゾッ」とします。そして次にそれらを打ち消したり忘れたりしようという反応をします。

このような「ゾッ」と、ボディワークとして深い脱力があるときの「スッ」とした感覚は、とてもよく似ています。ここで洞察をしてみましょう。

どちらにも共通していえることは、自分が自分をコントロールしている(と思い込んでいる)状態が消失する。 把握できないからこそ「ゾッ」「スッ」とするのですが。
把握できれば安心する。もしくは誰かに安心させてもらう。ソッコー安心を選ぶ。

恐怖に対しての対処はそれをやり、ボディワークでは「スッ」に任せればよいというイイトコ取りは、出来ません。身体の反応は「ゾッ」「スッ」に違いはないからです。その根源的な反応を、トロい脳は区別することができません。「ゾッ」「スッ」イコール、即座にそれを打ち消す反応をして安心をチョイスしてしまうのです。

肚のある人や武の達人が物事に動じないしリキんでもいないのはこの反応システムを使わないからで、「ゾッ」と「スッ」を別々にとらえて鍛練などしていないことでしょう。

本当にヤバイ状況では、即座の行為があるだけです。火事場のバカ力というのは、「ゾッ」「スッ」のままに行動できるからでしょう。「ガクブル」を1枚噛ませる余裕、時間などないのです。また、ガクブルしないように「ゾッ」「スッ」をも押さえつけるようにミゾオチを使うと、固い動きになります。

「ゾッ」「スッ」に反応する以前に、「ゾッ」「スッ」にいられますかってな話。瞑想とか観察行だってこれのことじゃろうが。




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