単純にいいますと、脚の前面と外側はブレーキです。後面と内側はアクセルです。氣を通すということはアクセルを踏むということであり、ブレーキを踏むことではないしアクセルとブレーキを同時に踏むことではない。 肥田式でいうところの「下腿は虚にして実」とは、ブレーキはオフ、アクセルはオンということだとおもいます。

脱力というのはつまり、身体のブレーキラインはオフにするということです。出力は当然アクセルオン、そのときビビってブレーキも同時に使わないこと。

ココロというのはマゴコロ以外はたとえ良心であっても大抵は幻想であり淀んだものであり要するにリキミの根ですから、ブレーキに常に足をかけています。

体運動の話にしろ整体の話にしろ、この踏みっぱなしのブレーキングをまずはやめることが前提になります。ほっといたらブレーキランプが切れたりブレーキパッドも無くなって、ブレーキの仕事そのものすら失ってしまいますから。 対話セラピー的な話でいいますと、自己不信がブレーキの踏みっぱなしにつながります。閉ざされた教育や宗教や社会はブレーキングの仕方ばかりを教えてアクセルを開ける喜びを罪とすら見なしかねないですけれども、 強力なブレーキをつくって上手なブレーキングを身につけたはいいが、走る(生きる)チカラが活きていなければどうしようもありませんのです。