無題

何にもない 何にもない

全く何にもない

生まれた 生まれた

何が生まれた



風は風車ではありません。真体功は身体功ではありません。

私達は一人ひとつの身体と共にあるので、身体が、腰が、頭が、心臓が自分のように思います。風車が生んだ作用(思考、感情)が自分のように思います。風(氣)を読み、捉え、シンクロするのは気持ちのいいものです。そんな風車(身体)をつくるのは健康や強健の為のメソッドでもあります。

しかしながら、ワタシタチは、身体ではありません。心身ではないのです。それは、自分で行うボディワーク以上に、ちぶる整体を開業していてお客さんを迎えて、ハッキリしたことです。腰痛だろうがウツ病だろうが、そんなものは「そもそもは」その人ではないのです。
裏を返しましょう。健康だろうが強健だろうが、風車は風車。 ‥では私達は風車じゃなくて風だというのか?そんなわけないだろう!と、思いますでしょうか。さて、どうでしょうね。

真体功は、身体功ではありません。



何にもない大地に

ただ風が吹いてた

吹いてた





SFホームドラマ

「ねぇ父ちゃ、今日学校で遺伝子検査があったの」

「あ、そう」

「でねぇ父ちゃ、先生がいうには、昔の人は遺伝子はジブンジシンだと思っていたんだってよ」

「そうだよ。」

「昔の人はバカだったの?」

「知らなかっただけだよ」

「ほんでさぁ父ちゃ、遺伝子のことをカルマって呼ぶ人もいたんだってさ。その人たちはね、罪とか大昔の誰かさんのことも、ジブンジシンだと思っていたんだってよ。」

「そうだね。」

「昔の人はキチガイだったの?

「知らなかったのさ」

「昔の人はジブンジシンのこと知らなかったの?アタシよりもジブンジシンのこと知らなかったの?」

「父ちゃも今の人もジブンジシンのこと知らないよ。たぶんね。(父ちゃ、学校からの連絡通知に目を通す)

《10才になるまでは感染症のリスクを避けるため、お子様を裸足で土の上を歩かせないよう御願いします。なおかつ挙動不審症になる恐れがあるというアメリカ医師会の研究報告も出ております。なお、キャンプ体験をさせると、将来非行化する可能性が3倍になるというデータがドイツの社会脳科学学会から報告されています。夏休みの計画はそのようなリスクを踏まえて立てていただきますよう、御願いいたします。》


トレイン トレイン
走ってゆけ

トレイン トレイン
どこまでも


さ、夏休みはキャンプいこうぜ、愛する我が子よ。

活きている腰

季節の変わり目だからなのか、それとも多少骨盤を締め付けるジーンズを履き その影響が多少では済まないほど身体のセンサーが過敏になったのかわからないが、二日間体調が乱高下しました。

骨盤の開閉運動は微妙なものとはいえ、その影響は甚大です。カナメからの響きですから。固い動きでいても不都合を感じないならそのままでしょうが、押さえつけた動きは解放への衝動を内に込める。感情も同じ。外からのプレッシャーはわかりやすくても、自分が自分でプレスしてきた深奥の固着は、容易にはわからないものです。

来店して早々、オイオイと泣きながら自分の不調と悩みを語った人がいました。どんだけ内に秘めて破裂しそうだったんじゃい と思いましたが。 一時的な慰安を提供すればよいだけならば、一時的な整体施療をして一時的に悩みを聞いたらそれで終わり、で充分です。しかし、骨盤でも感情でも、その解放の衝動が深奥からのものであるほど、活発化して開いていくほど、元に戻ることは苦痛でしかなくなり、停滞しなくなります。拘束を解くように、加速していきます。同じところを行ったり戻ったりするだけの人生は終了します。


私は、歳をとるほど石頭になるリスクからは解放されていると思う。なぜなら骨盤が解放されているからです。でもパソコンを覚える気はありません(笑)。

次回予定
「ラミネート状の身体前面のリキミをとると肚腰は活性し人生は超シンプルになるかもよ」



ロックンロール首


三脚を立ててここに

二人並んで写真を撮ろう
眺めより景色よりも

二人並んだ写真を撮ろう


骨盤の三点を所定の位置に取るだけやねんか。そんだけや下はな。中と上はそれに揃えるだけや。 空は光の道じゃ。


僕の果てサンダーロード
アナタの彼方サンダーロード



筋肉の水は流れるのや。水の道じゃ。骨は音の道じゃ。


そうなんだろ
サンダーロード

他に道は無いんだロ





世界はアイだと

胃腸、ですとか首、ですとかに違和感を感じた場合に、そこは独立してあるかのように錯感します。不具合のサインです。不具合を解消すればサインも消えますが、サインだけを消しても不具合は不具合のままです。


ドコソコのチャクラを強く感じるとします。活性化しているとします。しかしそれはバランスがとれていないともいえるわけで、何々チャクラがどーしたから、イコールスゲエ ではないわけさ。


中心軸を空だと感じる私がいます。「空だと感じている私」は、空そのものではありません。それそのものから少し遅れたところからそれを観て感じているわけです。
「感じ」はサインです。では「私」は?それは実体でしょうか。終着点でしょうか。空に終着点はありますでしょうか。「私の空」などありますでしょうか。

本意筋は中心空点線から伸びた動きをする。本意には本来、理由なんてありません。 こうだからこうする、のではなく、「こうする」 「こうしている」 という行為が生じた。そして「イイ感じ」というサインがあったとします。でも「イイ感じな私」にとどまった途端にズレます。中心空点線は鳥籠の鳥ではないからです。

そもそもが中心点線からの動きでなければ、ハナっからズレています、身体のどこかしらの首、つまり骨と骨のアイダがズレています。もしくは動いていません。


この記事を面白く読んでくれたサインがあれば幸いサインです。



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