ヒトのシンか 2 「イイ気になる」

で、仙骨背骨、大腰筋は確かに物質としてありますけれども、中心軸、または三本目の足といっても構わないですが、ソレは無いのに有るわけよ。つまり物質肉体ではないわけさ。そもそもこんな不安定な建造物を立たせ動かせしてしているのは何ですか? 体幹トレや気合い以前のそのチカラは物質でも労力でもありゃあしねえのさ。
それを妨げるものといえば、不純や不安や、何かをせねば何かを得られないという近代人が捏造した錯覚のゲームルール等々ですが。

人が不足感に対して満足感を求めるとき、ヤってる感を感じようとします。腕やハラのリキ感、ブっ飛ばした感、勝った感。強い指圧してる感されてる感。人に何かをしたった感されたった感。つまり俺は私はココにいるぞ感が欲しいわけですが、それはカルマでカルミーでカルメスティングな、ケーケーケーな、ハミチンライクな動機ですね。

目に見えずサラッとしてどこにもあたらずさわらずなチカラ以外は、自力でしょう。満足するための力です、それは。




ヒトのシンか

「フワ」でもなけりゃ「ズシ」でもなく、勿論「くらくら」でも「べたべた」でもない、時間と質量が消えるような姿勢動作があります。

その絶妙な一線一点に立つと、骨盤は球体 のように在り、背骨はそのバランスボールの上に立つように在るのでしょうが、そんな物質感すら無い。こんな芸当?を可能にするのは、どう考えても考えなくてもオノレの力ではなく天地人のムスビのチカラであります。


腰を立てるというのは仙骨を立て上げるということですけれども、意図で上げてはタダの「ヒキツリ」です。力抜きと腰立てが同時にあるには、力抜きも腰立ても、同時に同量に同質に出来るわけでありまして、力抜きや腰立てを「して」いては、それは叶いません。

二足で歩けるようになった元四足動物から、二足でも歩く一足動物へ。




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