朝 目覚めの直前、(ホントはこうしていたかったんだよな)という想いが起こりました。具体的個別の事柄というより、深層本意筋の聲でした。特に右腰あたりかな。 すると、35年にもなろうかという曲がりきらない野球肘と、10年前の親指のべネット骨折(割れて脱臼)のあたりが、グワン!グワン!と強く疼きました。
起床後。肘が普通に曲がるのでした。

記憶と記録の身体への刷り込みは、そうそう離せるものではありませんが、離せます。深層の刷り込みを消した方が、刷り込みの上塗りを繰り返すよりもずっとステキであります。脳や心への自己催眠の刷り込みなんて、ウソはいづれバレる。たぶん、巷の成功セミナーを受けたり願望実現法則を実践しても大抵の人が上手くいかないのは、「失敗者になりたくない」という最初の恐怖の刷り込みを離せないまま上塗りをしてるからなんじゃないのかな。そういうのを教えてる側の人って、とんでもない失敗を乗り越えた人だったりするみたいですので、失敗したことで「失敗者になりたくない」というリキミが、図らずとも取れてしまっているのではないのでしょうか。 肥田春充なんて、生まれつきからして失敗しているわけで、初源の刷り込みに取り組むしかなかったわけです。それはある意味、とんでもないギフトであり才能だったということにもなるのです。余計な上塗りなんてしない。

先天的にリキメない身体の17才の少女に出会ったことがあります。その娘は、何の特別な修行をしたこともないのに、肩を指圧させれば 効き目が全身を貫通するほどの腕前をもち、突きを放てば一撃で男を病院に送るほどの拳をもっていました。
キリスト語録に、貧しい人だか罪人だかは天国のすぐ傍に住んでいる的な言葉があったと思います。 私はこの仕事をしていて感じます、クスリや付け焼き刃の対処では治らない不調で悩む人ほど、ヨゴレが少ないということを。