真体功の型が、ヨガと古神道の行と他諸々を掛け合わせたような珍妙で美しいものとなっています。
人体の、骨と骨はすべてくっついてはいないので、私達は骨を地面に刺すように直立しているわけではありません。むしろ水袋が立っているといってよいです。骨はその中で浮いている。

真体功の型は、水の結晶構造のような幾何学的な象徴的な型をしている。型を行ったあと、流水の如くに身体の動きがほとばしるのも、そういうことだからじゃね?。

結晶構造(姿勢)を整えるべくして整える力というのは、水を濁らせる作為的な意識によってではなく、水よりも細かな粒子の作用に他なりません。ケイラク(氣光の通路)の動きなくして水は動きません。

正しい型(構造)がただ一つだけあるわけではない。美しい結晶パターンって、いくらでもあるでしょ? パズルのピースを合わせるみたいに外から一つの型を出来上がらせるような行為は、真体功には無い。真体功はパズルじゃありません、万華鏡です。

見た目の整形をしていたって、不自由になるだけです。私は、アファメーションとか大嫌い。