色中空 空中色

「色即是空 空即是色」を、シンタイコウ的に云うなら、空中色 色中空。
空の中に身体があり、身体の中に空があります。

地球という物体と大気圏がありますね。地球が人体なら大気圏はタマシイです。大気そしてタマシイの中には、地球そして人体という物質がある。そしてその物質の中にはまた空があるのである。


ボディワークは、哲学的な思索や科学的な探索やスピリチャル的な念策よりも、かなりダイレクトです。おのれの身魂そのもので宇宙そのものを感じるわけですから。
私はアインシュタインの相対性理論を、いくら聞いても読んでも今イチ理解できません。ですが、なんだか、(こういうことは私はほんとうは知っているし、これ以上のことも知っている)という感覚がどこかしらにあります。私だけが特別に、というのではありません。ちぶる整体をしているとき、人の身体から、光を感じることがよくあります。ですから、人は、光について知るとか知らないとかじゃなく、人はもともと光じゃないかとおもうのです。

背骨のラインには光線がある。しかし詰まりもある。肉体に肉体的な圧を与えただけでは、肉体しかほぐれません。氣功ではもっと半物質的な作用があります。ですが、真氣、真氣功、真氣動はもっと光のレベルです。


もう一度いいます。ボディワークはとてもダイレクトです。歯が生えてきたときムズムズしてカミカミしたくなるように、私はときどき、中芯軸がムズムズして、シンタイコウを行います。柔道やボルダリングなどの映像を見たときもムズムズしますし、中芯軸の確りある人の姿勢や動作やオーラを見たときもムズムズします。そしてそのムズムズをカミカミして解放させればさせるほど、光の柱はリアルで揺るぎない強いものになっていきます。

これは、肉体レベルのいわゆる体幹の強化にとどまる話ではありません。肉体で肉体を強化しただけでは、肉体は強くなるけれども、光線のエクササイズがほとんどおこなわれないため、部分的なことをチマチマやっているようで詰まっている。だからつまらないのです、私はね。
シンタイコウはもっと全然おもしろいものです。

肉体のケアや鍛錬などをしていてもラチの開かない堂々めぐりであったり苦痛だったりと、行き詰まっているかたはいますか? 大丈夫です、この世にはシンタイコウがあります。Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
肉体の鍛錬、ケアは否定するものではありません。ですけれども、もっとモトのキへのアクセス、モトのキからの活動により、拓ける道というものが、あるのだ。









真氣があるから何でもできる

スパイダー。





ドラゴン。






波動拳(笑)いや、中芯拳か。


カルチャースクールの骨盤体操だとか、ダンスレッスンだとか、武道の練習だとかで、似たようなことはできるとはおもう。ですがシンタイコウとは、こういった姿勢や動作を「保つ」ための訓練をするわけではありません。姿勢動作のための筋力やコツを身に付けるというよりも、中芯、真氣があらわれるからこそあらわれる姿勢動作なのです。以前から言ってますが、筋肉とはチカラだの氣だのを込めるための組織ではありません、チカラの伝達の糸です。

「身体の健康や強健」というのは、シンタイコウの核心ではなかったりします。核心ではないが、「身体とともにある」ことは肝心なのです。
道元という禅師が、弟子だか誰だかに「悟る、とは?心で悟るのですか?体で悟るのですか?」と問われた時、「体。」と言い切ったそうです。私は悟りとは何のことかわからないですが、その問答の意味はなんとなくわかるような気がする。なんとなく。だけれども、ボディワークは悟りのためにあるとか聖人君子になるためのものかというと、これまたそんなことでもないようにおもう。


ではシンタイコウとは何の為の姿勢動作か?っていったら…
太陽は何の為に燃えてんのか、地球は何の為にグルグル回ってんのか。
赤ちゃんは何の為にオギャーと泣いて手足をバタバタさせてケタケタ笑うのか。
それと同じっすね。
何の為であってもなくても、それは止まないよね。


次回予定
「天地グレンとひっくりかえる」







迷わず行けよ

ガイドブックを熟読したからといって観光をしたことにはならないように、たとえば太極拳や肥田式の動画を1000回見たとしても、それをやったとは言わない。では動画をたよりに動作をしたなら、それをやったといえるのか。ノーでしょう。それはたんに、「ガイドラインをなぞった」っていうんだ。

10000回やろうが10年やろうが、ガイドラインをなぞっただけの動作なら、ツアーでスケジュール通りに歩かされるだけの旅行となんら変わらないです。氣のワークであるなら、動作に氣が伴っていないのならそれはまだ氣の道の旅ではありません。家で仕度している段階である。

氣感や確りした体感を得られたなら、それがはじまりです。氣を得るなんてのは、まったくゴールではありません。はじまりです。ドラクエで最初から持てるアイテム「ひのきの棒」みたいなものである。ひのきの棒すら持っていないのは、まだゲームをはじめていないか、今まで違うゲームをやっていただけです。フィジカルとマインドを鍛える という別のゲームを。

「氣を練る」のでなく「氣を通す」だけなら、私は、立禅を3年とか太極拳の型を毎日やるとか、全然必要ないと断言できます。で、そのさき、氣を練るのか、氣をもっと通すのかで、アプローチは違ってきたりもしますけれども。

氣の旅に出たなら、ガイドラインも役には立ちますが、氣そのものが行先を導いてくれるものです。ガイドブックやガイドラインは、実際に行った人がつくったものであるが、自分自身が実際にその道で見て聞いて味わう光景は、ブックやラインに描かれていることだけには、まったくおさまらない唯一無二の体験なのである。

つづく

次回予定
「真氣があれば何でもできる」





臨機応真

東京で開業したころを、ふと振り返ってみる。

「対話セラピー」ではなく「ちぶる整体」つまり無言の整体施術で、まさかインナーチャイルドの癒しというヒーリングが起こるなどとは、私自身も予想していないことでした。ただあれは、一発施術したから癒されてメデタシメデタシとかいうものではなく、それははじまりに過ぎなかったわけで、本人も私も、その後、長期戦になった。ああいう作業は私自身も貴重な体験をさせてもらった。でも、あそこまでの込み入った仕事を、何人も何人も請け負えるかというと、どうだろう。

カルマというものは極論としては私は、「無い」という言い方をしてしまうが、実際、そういう言葉がある以上は、ある。「ブロック」と同じだ。ブロックなんて、ほんとうは、無い。でも、ある。それと同じこと。 で、カルマやブロックにかかわる作業というのは、その価値を金に換算するのは非常に難しい。物やサービスの授受などよりもはるかに、機縁にかかわることだからだ。成果なんて保証もできないし、何をもって成果とするのか、それは一律に定義もできない。
それでもあえて単純に、その労力に対しての対価を頂くという計算をするにしても、全然安くはできない。


ボディワークでいう「脱力」は、神道なら「禊(みそぎ)」、スピリチャリーにいうなら「浄化」と同じである。動作のちょっとしたコツなどというものでは全くない。
脱力という名の禊をするのは他でもない本人である。私はヨガのシャクティパットとかいうやつは何のことなのかよく知らないが、悪い意味での「受身」だけで、覚醒だかクンダリニーだかを伝授されるなんてことは有り得ないだろうよオイオイ!とおもう。もし人為的な行為でそんなことが有り得るとしても、与える人のエネルギーと与えられる人の身心の電圧が合ってなければヒューズが飛んだりブレーカーが落ちたりするのがオチなんじゃないの?つーか、せいぜいアストラルレベルの神秘体験みたいなことを味わえるだけだとおもう。


ところでなぜ私は東京開業当時のことを振り返ってみているのかというと、今、ちぶる整体を再開しますとあらためて告知するとして、はてどういうことをどういうふうにするかなと、ここのところずっと考えているからです。「客商売」というふうなテイストは、なんだかんだいってもあの頃はゼロには出来なかった。だから一般的な整体業のスタイルや価格相場は捨てきれなかった。今一度同じようにあえてやりたいかといったら、別にやりたくもない。整体施術などはオプション(オマケ)の、真体功の伝功をしたいというきもちしか湧いてこない。そしてそれは全然ビジネスじゃない。だから消費者のニーズとか、全然勘案などしない。さしあたってシンタイコウの価値を知っているのは他でもなく私自身しかいない。



つづく



シントラセックス

私は、肥田式の「聖十字式体操」は、セックス時の女性のオーガズムと、実は非常によく似ているのではないかと、ひそかに思っている。

もしそうではなかったとしても、聖十字式体操からヒントを得て出来たシンタイコウの「フラクタル体操」は、まるで、一人でタントラセックス(房中術)をしているかのような感覚があります。私は女性ではないから女性のオーガズムをリアルには知らない。でも、非常に能動的でも受動的でもあるエクスタシーをかんじる。

フラクタル体操とはもちろんチンコをいじるわけではありません(笑)。内側に向かう男性性のエネルギーが自分自身を貫くようであるのです。射精の快感というのは、ピーキーであり、疲労しやすく、射精したあとというのはモヌケのカラ、みたいになりがちでしょう?しかしこの一人タントラ術は、全身の快感、爽快感は持続性があり、疲労とは逆にシャキッとして、モヌケのカラとは逆に、満たされているのです。

男である私は、こういう感覚であるが、では女性がフラクタル体操をしたならば、普通のセックスの時と同じようなものなのか?よくわかりませんが、少なくともヘタクソなセックスやオナニーよりも、もっとヘルシーというか、スピリチャリーなものではあるとおもう。
たぶん、男にとっては女性性が、女にとっては男性性が、自分自身の中で、活性化するとか、統合されるとかいった作用があるのだ。これは身体のバランスでもあるが精神性のバランスもとれていくのだとおもう。マジンガーZに出てくるアシュラ男爵のようになるわけではないとおもう(笑)。中性的なフェロモンが分泌されるのではないかとおもいます。弥勒菩薩みたいな。








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