ガイドブックを熟読したからといって観光をしたことにはならないように、たとえば太極拳や肥田式の動画を1000回見たとしても、それをやったとは言わない。では動画をたよりに動作をしたなら、それをやったといえるのか。ノーでしょう。それはたんに、「ガイドラインをなぞった」っていうんだ。

10000回やろうが10年やろうが、ガイドラインをなぞっただけの動作なら、ツアーでスケジュール通りに歩かされるだけの旅行となんら変わらないです。氣のワークであるなら、動作に氣が伴っていないのならそれはまだ氣の道の旅ではありません。家で仕度している段階である。

氣感や確りした体感を得られたなら、それがはじまりです。氣を得るなんてのは、まったくゴールではありません。はじまりです。ドラクエで最初から持てるアイテム「ひのきの棒」みたいなものである。ひのきの棒すら持っていないのは、まだゲームをはじめていないか、今まで違うゲームをやっていただけです。フィジカルとマインドを鍛える という別のゲームを。

「氣を練る」のでなく「氣を通す」だけなら、私は、立禅を3年とか太極拳の型を毎日やるとか、全然必要ないと断言できます。で、そのさき、氣を練るのか、氣をもっと通すのかで、アプローチは違ってきたりもしますけれども。

氣の旅に出たなら、ガイドラインも役には立ちますが、氣そのものが行先を導いてくれるものです。ガイドブックやガイドラインは、実際に行った人がつくったものであるが、自分自身が実際にその道で見て聞いて味わう光景は、ブックやラインに描かれていることだけには、まったくおさまらない唯一無二の体験なのである。

つづく

次回予定
「真氣があれば何でもできる」