無題


もう、やめろ と思う。

本能的には人は、生きようとするものである

が、本質的には、生き延びることなどどうでもいいほどに、優先するものがある。


子供の胸腺は、虐待などを受けると、萎縮してしまい、免疫力などが著しく低下するといわれます。一般的には胸腺や松果体は成人するとほぼ無用のものになるとされていますが、私ははたしてそうだろうかとおもう。

胸腺=中丹田、ハートチャクラ。松果体=上丹田、サードアイである。要するに今までのヒトは、成人以降それを退化させる生きかたをしてきたに過ぎないのではないかと私はおもっています。


大人であっても、ときにヒトは自己虐待をしているし、自己をひそかに虐待しながら、他人をもひそかに虐待する。結果、弱い者や優しい者にシワが寄っていきがちです。

生き延びるためになら、ヒトはけっこう頑張る。なりふり構わず頑張る。自分を虐待してでも、他人を虐待してでも、生き延びる。

けれども、生き延びることよりも優先されるものがある。あるのだ!それは、命の、本質的な、

尊厳だ!








ヘンシン

昨晩から、腰痛になった

しかしなんとなく(快)を伴う痛みです。
仙骨が盛り上がって上昇しようとしているような感じ。尻尾がある生物になってゆく感じ。てゆうか、もともとあったんだろ。化石が蘇生するみたいな感じ。
クルマのシフトレバーを上げたみたいな感じもする。
最大身長がまた少し伸びている!
そして、姿勢をピタリと決めたときは痛みが消える。力を滞りなく通すのだ。痛みのサインが、逆に、誤差のない中心姿勢へといざなってくれるかのようである。

おもうに、姿勢でつくる腰の緊張というのは、『低いギアでエンジン回転を上げている』みたいな状態である。そのリキ感は中心力の入口である。中心力というよりも中心の扉を叩く力、である。開かれた身体にリキ感はどこにも無い。


立ち位置がシフトしてしまった感じがする。フワッとしているのではありません。足は下にヒタッと着いている。肥田さんの、板を踏み抜くエピソードが頭をよぎる。たぶん自分も出来る…とは言わないが、かつての自分の脚力とは違うチカラが出せる。
整体術にしても、私は小手先の技術は研かないので、自身のシフトアップが即ち技術の上昇である。他人の身体に触らなくてもそれはわかる。


相変わらずガリガリだし、肥田式練習者とは思えずヨガの行者みたいであるが、おそらく私の特性だろう。肉体への頓着がやや薄いのだ。
(おもに身体の様子を述べましたが、氣とか電磁力とかもヘンシンしてます)

つづく








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