超有名な人の術を高額払って受けたものの、何の効き目も無かったとか、予約のなかなか取れない名人にやっとこさ施してもらったはいいが、治らなかったとか、そういう話はときどき耳にする。

先日私が診た坐骨神経痛の人も、そういう経験をしているようで、その人の結論としては、『名人だろうが何だろうが、その技術に自分の身体(症状)が当てはまってなけりゃあ効かない』だった。

そういうケースについて、おもう。

病とか不調の原因を、突き詰めて探っていくと、具体的に見えてくるものがある。それを、名人や有名人なら的確に見ていると思う。そして高技術で施す。それで確率的には高い数字で結果が出る。でも100%ではない…
症状を突き詰めて見るのではなく、逆に、どこまでも俯瞰して観察した場合、私は、その症状が、全体から切り離せないものに感じることがある。全体とは一身体の全体ではない。もっともっと俯瞰してみての全体だ。時空も俯瞰する。


そうして診たとき、これはたぶん一流だろうが三流だろうが、治されへんのかな と感じることがある。不治の病であるとか心の問題であるといった診断ではありません。とにかく目の前の今、何かをしてその痛みをサクッ切り取るわけにはいかんのだなと、感じるの。


治療師と患者 というスタンスでのアプローチではない、違うやりとりをしたほうが、意外な方向から治っていく可能性はあるとおもうことがあります。

今回、整体をして、いくらかラクになるということぐらいはしてあげられましたけれども。もっとラクにしてあげるにはもっと高い技術でほどこせられればよいと思う。しかし、もっともっとずっとラクになるには、寝てもらって身体に触るだけが能じゃない、とおもった次第です。