再 ヘンシン

踊りとして見せられるような綺麗なものにはなっていないかもしれないが、フラの『ロール』という技(らしき動き)を出来るようになりました。あいさん、キヨミ先生よ、どんなもんだい!
これ、やっぱりアウターマッスルの力じゃないよね。

フツーのいわゆる筋トレって、それはそれでいいかもしれないけど、そっちの方向と、コッチ(真体功)の方向では、走る線路が全く違う。私は絶対にやらない。絶対にだ。すべてが分断されてしまうからである。そっちの筋力もあるに越したことはないという考えは、『考え』としては成立しても、身体としては成立しない。絶対にだ。だからやらない。絶対に。

スポーツやスポーツ格闘技をやるとか、マッチョになりたいとか、単に好きだからとか、そういった人には筋トレは良いものであろう。
でも、そうではなく、それでも自己のフルパワーですとかフリーダムを求める人に、私はぜひ、真体功というものを伝えたいとおもう。オーケー、コッチの道があるぜ、レッツゴー全然大丈夫だ!ってことを、ぜひ知ってほしい。

真体功でベストキッドを育ててみてえな(笑)
いじめられっ子を最強に変身させてみたい(笑)


次回予定『坐骨神経痛の人を整体施術した話』




続 ヘンシン

体感が愚鈍な感じに戻っちゃった(笑)


変身の様子をもう少し記述しようとおもっていたが、戻っちゃったんだから書くことも無い(笑)。一時的にハイになってただけでしょうか。

進んだはずが戻ってしまった、的な過程を誰しもが経験しているかとおもいますが…そうだ、ではこういう過程といふものについて何か書こうぢゃないか。


もっと以前の私なら、『進んだのに戻った』 『開いたのに閉じた』とき、まるで、ドラえもんがいなくなってしまった のび太のような気分になっていました。 しかし今は、やや違いますな。
デビルマンになっていないときの不動明だΨ(`◇´)Ψ


余談ですが、仮面ライダーでなくデビルマンに例えたのは、私は未だにワルに憧れているからでしょう、 本郷タケシより不動明のモミアゲのほうが俺は好きなんだ!な、そうだろ飛鳥!
…不動明になぞるのはちょっとカッコつけすぎています。ごめんなさい


本談に戻ります

ほんとうのこと、マコト、身心の中心、ってのは、取って付けるというものでなくて、『おもいだす』 ものだ。

おもいだすとは、『ビンゴ!』みたいなかんじです。ワタシは知っていたと、ワタシはこの新鮮を知っている、と。


それをなぜまた忘れたり失ったりとかするのか?。
その質エネルギーが結晶になっていないからでしょう。
結晶されるまでにかける時間や手間を修行と呼んだりもしますけれども、 時間×手間=結晶 とは限らないでしょう。
でも実際は、ヒトは誠実さで時間と手間をかけて結晶させる。誠実さとは、川を上る鮭とか、転がる石とか、カエルになるオタマジャクシとか、

そういったものたちのいとなみに似ていて、何かに対して誠実に取り組むっていうんじゃなくて、
誠実ゆえにそうしている っていう、ただそんだけだとおもう。







無題


もう、やめろ と思う。

本能的には人は、生きようとするものである

が、本質的には、生き延びることなどどうでもいいほどに、優先するものがある。


子供の胸腺は、虐待などを受けると、萎縮してしまい、免疫力などが著しく低下するといわれます。一般的には胸腺や松果体は成人するとほぼ無用のものになるとされていますが、私ははたしてそうだろうかとおもう。

胸腺=中丹田、ハートチャクラ。松果体=上丹田、サードアイである。要するに今までのヒトは、成人以降それを退化させる生きかたをしてきたに過ぎないのではないかと私はおもっています。


大人であっても、ときにヒトは自己虐待をしているし、自己をひそかに虐待しながら、他人をもひそかに虐待する。結果、弱い者や優しい者にシワが寄っていきがちです。

生き延びるためになら、ヒトはけっこう頑張る。なりふり構わず頑張る。自分を虐待してでも、他人を虐待してでも、生き延びる。

けれども、生き延びることよりも優先されるものがある。あるのだ!それは、命の、本質的な、

尊厳だ!








ヘンシン

昨晩から、腰痛になった

しかしなんとなく(快)を伴う痛みです。
仙骨が盛り上がって上昇しようとしているような感じ。尻尾がある生物になってゆく感じ。てゆうか、もともとあったんだろ。化石が蘇生するみたいな感じ。
クルマのシフトレバーを上げたみたいな感じもする。
最大身長がまた少し伸びている!
そして、姿勢をピタリと決めたときは痛みが消える。力を滞りなく通すのだ。痛みのサインが、逆に、誤差のない中心姿勢へといざなってくれるかのようである。

おもうに、姿勢でつくる腰の緊張というのは、『低いギアでエンジン回転を上げている』みたいな状態である。そのリキ感は中心力の入口である。中心力というよりも中心の扉を叩く力、である。開かれた身体にリキ感はどこにも無い。


立ち位置がシフトしてしまった感じがする。フワッとしているのではありません。足は下にヒタッと着いている。肥田さんの、板を踏み抜くエピソードが頭をよぎる。たぶん自分も出来る…とは言わないが、かつての自分の脚力とは違うチカラが出せる。
整体術にしても、私は小手先の技術は研かないので、自身のシフトアップが即ち技術の上昇である。他人の身体に触らなくてもそれはわかる。


相変わらずガリガリだし、肥田式練習者とは思えずヨガの行者みたいであるが、おそらく私の特性だろう。肉体への頓着がやや薄いのだ。
(おもに身体の様子を述べましたが、氣とか電磁力とかもヘンシンしてます)

つづく








にじんだ文字『東京行き』

たたかう君のうたを

たたかわない奴等がシカトするだろう

(中島みゆき ファイト!の替え歌)



ソウル てのは、歌のジャンルではないですよね。

ブルーハーツがNHKの番組で特集されたとき、階段にしゃがんだヒロトが狂った表情で言ってました『僕は…なんだかよくわからないものになりたい』 。当時私は、ソレがなんだかよくわかった気がしてた笑。


『真っ直ぐに喋る言葉は光線のように相手に届く』 インディアンの誰かが言った名言です。
私は想像する、この言葉の背景は、悲しみに満ち満ちているものだったかもしれん、と.
大陸にあらわれた白人の喋る『英語』ではなく、そのキモチが全くわからなかった時代があったんだろう。
真っ直ぐに喋らない人間なんて、それまでは会ったことなかったんだ。

そんな名言、生まれる必要もない時代があっただろ、と今おもう。







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