一作目しか観たことないけど、映画『マトリックス』の主人公ネオは、鉄砲の弾を、仰け反ってかわしてましたね。

しかし、実在した合気道の開祖、植芝盛平は、鉄砲弾が飛んできたときにはすでにもうそこにはおらず、25メートル先の撃ち手を倒したといいます。事実は映画より氣なりですなぁ。。

しかし、植芝さんは、マタギの鉄砲は避けることが出来なかったそうです。マタギが撃つ前に、まて!オマエの弾は避けれん と言って降参したそうです。

どういうことでしょう。
おそらく、マタギは、『撃つ』という意念を使っていなかったのでしょう。熊を撃つとき、そんな『念』で撃とうとしていたら熊には察知されてしまうからでしょう。
狙って→撃つことはしていないのです。弓の達人が矢を『的に当たってから放つ』のと同じに、『当たってから撃っていた』のです。植芝さんは植芝さんで、弾が発射される前に『当てられた』ことを感知したのでしょう。スゲエ話だよな。

肉体や思考は氷山の一角でしかないとこの前ブログで書きましたが、氷山の一角のうごきは『一番遅い』のである。

マタギでなく狙撃手の、実際コンマ何秒のタイムラグ(意念→引き金)の間に反応する植芝さんだって、肉体を移動させるわけですから、なんで下手すりゃ意念より遅い肉体がそんな速く動けるのということになるが。
植芝さんだって、意念で肉体を動かしてはいないのである。意念で意念を察知していたら、鉄砲弾のほうが肉体より速いから間に合わない。
植芝さん自身の話によると、鉄砲弾より早く金色の玉が飛んでくるから、それを避けるのだと言っていたみたいですが、金色の玉に当たっていたら間に合わないのでしょう。金色の玉(意念エネルギー)をも凌ぐ速さで存在するものがあるのです。

実際に私自身が検証しないと、こんな解説してても、口だけ達者な格闘技観戦者みたいになってしまうのですが…検証してみようとはおもいません(笑)。


中国武術の聴ケイとか、あるいは整体術だって、触れて、感じて、対応する。つまり『考えるな、感じろ』ですけれども、 鉄砲弾まで避けるとなると、『考えるな、感じるな、観じろ』ってことになる。では観じるとは何か。脳の命令ではないし神経の働きではないでしょう。それでは間に合わないのです。
『考えるな、感じるな、観じるな、創造しろ』という境地すらあるとおもうのですが、ちょっともうこれ書いてるうちにワケわかんなくなってきたし、まさに間に合っていないのでここらへんでしまいます。



次回予定『我センション』